大正末期から昭和初期にかけて沖縄は経済的な窮状にありました。
主食(サツマイモ・米)を確保することもできず、猛毒を含むソテツを解毒処理して食糧とせざるをえないほどの苦境にあったそうです。調理に失敗して命を失う人も続出。まさにソテツ地獄でした。
第一次世界大戦後に端を発する長期不況は、日本全国に大きな打撃を与えましたが、とりわけ生産基盤の脆弱な沖縄では深刻な事態に。県の基幹産業である糖業が糖価の暴落で不振に陥り、農業経営は逼迫。さらに負担能力を超える重い租税が課せられ、貧しい農村から漁村へ「糸満売り」といわれる人身売買や海外への脱出移民・出稼ぎ者の急増を招きました。
1945年太平洋戦争末期の沖縄戦では、逃げ惑う琉球人がヤマト陸軍と行動を共にしたために戦争に巻き込まれ、利用され、多くの琉球人が亡くなりました。陸軍から手りゅう弾を2つ手渡されたそうです。一つは米軍に投げる用、一つは自決用として。民間人には自決を迫りながら、沖縄で持久作戦を強行した八原博道陸軍大佐は民間人になりすまし脱出を図りました。洞窟に入ったところでアメリカ軍に包囲され、他の敗残兵は玉砕しようとしました。が、留学経験でアメリカ人をよく知っている八原は、アメリカ軍が民間人を殺害することはないことを知っており、敗残兵を説き伏せ、アメリカ軍に投降を申し出て民間人ら数十名と共に捕虜となったそうです。
ウィキペディアによると八原は後年、手記にその投降時の状況を「美しい場面だ。今や敵も味方もない。人間愛に充ちた光景である。かつて豪雨のある夜、フィラデルフィアの南郊外で、自動車を路外に暴走させて困却した際、付近に住む青年たちが、雨をおかして駆けつけ、助けてくれたことをつい思い出してしまった」と回想しているそうですが、この人は軍人なのか?酔っ払いなのか???
こんな酔っ払いのために亡くなった沖縄戦二十万人の犠牲者が浮かばれません。そもそもこういう気分屋が成り上がることにより国民を窮地に陥れる仕組みや構造について、ほとんど総括・反省してませんよね?
毎年、戦争は悲惨だ~のセンチメンタルな繰り返しばかり。もちろん戦争忌避感情に訴えるのも有効ですが、どうして陸軍が暴走したのかとか、どうして天皇は米軍に沖縄リースを持ちかけたのかとか、論理的・構造的にきっちり考察しないとまずいんじゃないですか?
GO TO キャンペーンが始まった7月下旬頃から沖縄では新コロ感染者が一気に増えています。またまた一部の利権と結びついた政府の暴走愚策により、大迷惑を被っているのです。沖縄もヤマトにくっついていくとロクなことはないと、いい加減、学ぶ方がよいと思うのですけれど。
酔っ払い運転も危険ですが、その同乗者もどうかしてるとしか思えません。