神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

サンタナ宮崎「おへその学校」

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ゆかるひ店内に作品を展示中


国際通り脇にあるゆかるひブックカフェで「サンタナ宮崎メモリアル絵画展」を12月21日まで開催中です。絵画展に因み、サンタナの妻さゆりさんによる「サンタナと私」イベントもありました。

サンタナの絵はネイティブアメリカンを思わせる素朴なテイストと鮮やかな色使い。見ていて元気をもらえるという定評があります。

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油、アクリル、ミックスメディア、木版など

サンタナ宮崎は1948年生まれのアイルランドアメリカ人と日本人の間に生まれました。独学で油絵を学び、1980年代は久米島西表島に住んでいました。

西表島では古民家を借り、絵画教室「おへその学校」を開き、地元の子どもたちの人気者に。

当時の地元テレビ局が制作したドキュメンタリー番組がホールで上映され、サンタナ夫妻による自由でのびのびとした教育や、楽しそうに戯れる子どもたちの絵画表現力に驚きました。

 

何よりびっくりしたのはサンタナ夫妻の自由闊達な生き方でした。かなり地元に定着した感のある「おへその学校」にもこだわらず、住みたいところに住み、やりたいことを始める。

イベント参加者の方が「定住する旅人」と表現した通り、西表島の後、京都や米国ワシントンに住み、その後さゆりさんの故郷、富山に移住されています。サンタナが亡くなった後、さゆりさんは再び沖縄に移住。

新しい土地でどうやって生活の糧を得るか、普通の人なら心配が先立ってなかなか動けないものですが、さゆりさんによると「何とかなる」そうです。

数十年前のドキュメンタリー映像の中の彼女は若くてふっくら、おっとりタイプでしたが、現在は別人のようにきりっとスマートで素敵なマダムに。サンタナさんという稀有な才能と苦楽を経験した歳月が彼女を磨いたのだと思いました。

 

プロフィールによるとサンタナは日本では個展を開いたのみですが、米国では個展のほか美術雑誌にフォークアートの画家として紹介されたり、地元紙が作品をたびたび紹介したり、アートカウンシルから制作奨励金を受け、アーティスト専用アパートを用意されたり、と各方面から評価、支援されています。

個人の才能を見出し、褒め育てる米国文化は日本より進んでいると思いました。

 

沖縄文化論―忘れられた日本 (中公文庫)

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  • 作者:岡本 太郎
  • 発売日: 1996/06/18
  • メディア: 文庫