神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

地球のバランスシート

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うるま市にある勝連城跡  14世紀の築城と言われています


今週のお題「運動不足」

頭の運動のため簿記を習ってますが、授業がわかりにくい&超つまらない!ので、モチベーションを上げるべく「バランスシートで読みとく世界経済史」(ジェーン・グリーソン・ホワイト著)を読んでみました。

 

複式簿記の歴史は古く、14世紀のベネチアで広まったそうです。「富を測定したい」という人間の欲望により、世界中で採用され、資本主義の膨張をもたらしました。

複式簿記を使えば事業活動を始める最初の総資産と期間の終わりの総資産を比較することができ、今後の活動の潜在的な成績を判断することができます。

しかし、複式簿記が推し進めた「利益第一」の考え方は企業経営者や政治家を目先のことしか考えないアホにするという悪影響を及ぼす側面も。物事が常に利益の観点からのみ語られ、教育や自然環境など計算できないものが危機に瀕していても、それは「計算」されないのです。

 

1968年3月にロバート・F・ケネディカンザス大学で行った演説が引用されていました。

「これまで私たちは物質的な蓄積を求めるなかで、個人の美徳やコミュニティの価値を蔑ろにしてきたのではないだろうか。いまやわが国のGNPは8000億ドルを超えている。しかし、アメリカをGNPで評価するということは、大気汚染、タバコの広告、交通事故の犠牲者を運ぶ救急車をその勘定に含めることを意味する。それだけではない。ドアにつける頑丈な鍵、そしてそれを破る者を収容する刑務所。アカスギの伐採、無秩序に広がる開発によって失われるすばらしい自然。ナパーム弾や核弾頭に、暴動を鎮圧する警察の装甲車・・・それに子どもたちに玩具を売るために暴力を称えるテレビ番組。こういったものがすべて含まれてしまうのだ。その一方で、子どもたちの健康や質の高い教育、遊びの楽しさは考慮されない・・・私たちの機知も勇気も、知恵も学習も、思いやりの心も国への忠誠心も含まれない。つまりGNPは人生を豊かにするものを除外して国を評価しているのである。」

 

GNPやGDPといった物差しで国の富を測るのは根本的に間違っている。簿記会計の理屈に従えばタバコの広告の方が子どもの健康より「価値がある」ことになってしまう、というのです。この演説から50年以上経っても、こうした「数字」は政府や企業、自治体の方針に影響を与え、我々を支配しています。1時間でも長く働き、より収入を増やすことに重点を置くため、子どもと向き合って対話する時間を減らす、本当に自分がやりたいことを我慢する、などです。

 

この世で生活するうえで簿記の知識は必要だが、簿記でこの世の富のすべてがわかるわけではない(当たり前ですが)。ということがわかりました。

つまらない授業はハッとする認識への入り口でもあったわけですね。それなりに価値があったのかもしれません。一見つまらないものやつまらない経験に価値を与え、豊かな富を引き出すチャンスはいつでもどこでも誰にでも与えられているのでしょう。なぜなら我々一人一人が価値ある存在なのだから!!