佐古忠彦氏はTBSのキャスターとして記憶していますが、最近では「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」のドキュメンタリー監督として沖縄戦後史に切り込んだ手腕が注目されています。
今年は「生きろ 島田叡(あきら)―戦中最後の沖縄県知事」という監督作品を携えて来沖しました。
1944年10月10日米軍による大空襲で那覇は行政が麻痺状態に。内務省は翌年1月に大阪府の内政部長、島田叡を沖縄県知事として派遣しました。着任と同時に疎開促進や米の大量確保など、一人でも多くの県民の命を救おうと力を尽くした官吏の記録です。
戦況の悪化に伴い、多くの県民が戦闘に巻き込まれ、島田自身も軍部からの要求と住民を守る行政官としての信念の板挟みになり、43歳で亡くなりました。玉砕こそ美徳という考えに抗ったにもかかわらず、最後は彼も自決とみられています。
住民を守れなかったという罪悪感があったのかもしれませんが、戦災は彼の責任ではないのに、なぜ死を選んだのだろうか?島田が職員の縛りを解くために、県庁解散宣言をしたにもかかわらず、なお島田と生死を共にしたい(一緒に死にたい)という職員たちがいたことにも驚きました。
日本人が死を美化しているというか、死によってあらゆることを帳消しにしようとすること、またそれを許容する民族メンタリティには恐ろしいものがあるなと思います。
陸軍司令官、牛島満は島田や海軍の反対を押し切って、軍隊を南下させ、多くの住民を巻き添えにします。敗戦模様が色濃くなり、牛島は勝手に自決。司令官を失った軍部は規律を失い右往左往し、住民の敵は米軍だけでなく、日本軍になります。結局、皆が地獄の消耗戦を強いられた挙句、何も得るものはありませんでした。この無責任極まる牛島って典型的な日本のリーダーそのものじゃないですか!?
日本人のメンタリティは典型的なリーダーたちに福島原発事故後も利用されているのではないでしょうか。放射能は怖いが、原発は止めません。皆で被爆すれば怖くない。皆で死ねば怖くない。だから、皆さん、ご一緒に放射能汚染農産物や魚介を率先していただきましょう、とかね。根拠も今後の見通しもないことを無責任に押し付けてきて、最期は皆で玉砕しましょうというパターンです。