心から敬愛するわが師、高橋巌先生が講演集を出版されました。「シュタイナーの人生論」です。
本の帯には「どんな存在も尊い」と書いてあります。
この世は無なんだ、私もあなたも幻、実は誰もいないんだ、と主張するリック・リンチツの本を読んで以来、闇の中にいたのですが、近所の人が「どんな存在も幻だから尊いってことです」と解説してくれました。
我々の存在は刻一刻と変化しながら消えていく夕焼け雲のようなものなのかしら。一瞬一瞬、幻のような美だけれど、二度と同じものは現れない。尊いってそういう感じかな?
「今、人間にとって大事なのは、真の自己認識です」と高橋先生はおっしゃいます。
「自分は創られた存在だけれども、自分を創った宇宙のエネルギーが自分の中に生きている。自分という存在は、人間であると同時に神でもある。その神の想いが、人間の中に、自分の中に生きている。それを踏まえて21世紀をどう生きたらいいのでしょうか」と問いかけておられます。
創造は動物にはない、人間だけに分け与えられた神の能力。どんなに危機的な状況でも、悲惨な状況でも、人間なら創造的に切り抜けていくことができます。個別の状況の中で、自分なりに、オリジナルに「私の世界」を創造すること、それが、この本のメインテーマでもある「能動的に生きる」ということなのかなと思いました。
そういえば、キリストの磔刑&復活は最悪な状況の中で、イエスが最高に能動的な創造性を表現しています。だから人の心を揺さぶるのではないでしょうか。
社会や他人の支配下でずっと受動的に生きていると、鬱になったり、引きこもりたくなったり、自分をこじらせてしまいます。
我々はもともと能動的な存在です。我々は思考存在であり、思考はそもそも能動的な行為だからです。受動的な状態というのは思考をやめた(やめさせられた)状態なのです。ネガティブ思考も、能動的にそれをやっているにすぎません。悲劇的な創造性をやっているわけですね。徹底的にネガティブ思考を突き詰めて創造的に思考すると、突然、反対側に出られたりします。
よく読めば、先生もシュタイナーも思考(意識)は存在するが、我々(というもの)は存在しないと言っているようです。リンチツのソフトバージョンですが、リンチツより遥かに遥かに味わい深く、滋養と滋味に溢れた講演録。リンチツが硬くて乾燥した不味い黒パンなら、高橋先生は愛情かけて煮込んだ美味しいおでん。
日本一、いや世界一、真のシュタイナー思想を日々フレッシュに更新されている高橋巖先生。その思想の一端に触れたい方にお勧めの一冊です。シュタイナー本の翻訳も正確さ、わかりやすさ、能動性において高橋巖先生がイチ押しです。