結社と聞くとフリーメーソンとかイルミナティを想像するのですが、太平洋を囲む南の島々にも秘密結社があるそうです。西表島近くの新城(あらぐすく)島にも男子結社があり、アカマタ・クロマタ祭儀の準備を担っています。この秘儀は撮影禁止で島民だけの大事な行事のようです。
ニューギニア島のマリンド・アニム族の男子結社はマヨ祭儀の終幕に選ばれた女性を殺害し、食べてしまうのだそうです。琉球弧では食人は死者との「添い寝」として象徴化され変形していきましたが、マリンド・アニム族の場合は残酷な形で残っているのですね。
残酷でありながらも「神聖な犠牲と再生」を感じさせるこの儀式について、喜山氏は、農耕が「自然の有機的身体化」だとすると、食人は「人間の有機的自然化」であり、まるで植物(人間)を地面に埋めて新たな植物が生まれるように、人間と自然の相互関係を素直に表現したものではないかと考察します。
自然と人間、生と死、あの世とこの世の境域に生きており、移行を当たり前のこととして受け取る思考はどこからくるのか。それは、島々を取り囲む珊瑚礁ではないか。
数千年かけて隆起する珊瑚礁は荒波から島を守り、豊かな生命を育み、島人に海の幸を与えます。珊瑚礁ゾーンはニライカナイの海と陸を分断するものではなく、島人にとっては「繋ぐ」ものなのです。
島人は人見知りが多いと言われます。地平線の向こうからやってきた見慣れぬ「まれびと」を神か死者かと見なし、直視することなく目を伏せて崇め奉ってしまう古来の習性が残っているからかもしれません。無批判に、無防備に外部からの侵入者、侵略者を受け入れてしまうところが、今日の沖縄の悲劇を招いているともいえますね。
琉球弧の場合、神の妻である祝女(ノロ)が神を自認し、「人間にして神」であるという存在になりました。この現人神(あらひとがみ)信仰が強力なのが、琉球弧を早く脱したはずの本土の天皇制に表れているというのも面白いです。
琉球弧の精神史を探求した本ですが、南の島々の持つ霊的豊かさや霊的思考の根源について考察されている貴重な一冊です。