神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

我々は何を守ろうとしているのか

お題「戦争」

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               つかず離れず


ウクライナ・ロシア戦争が長引いています。

ウクライナは可哀そう、と援助物資を届ける人はいても、「これ以上被害を出さないよう、降参したら?」と提言する人はいないようです。それどころか、武器をせっせと送って、「頑張って戦え!」とはっぱをかける始末。

いったん戦争を始めたら「棄権」も許さない雰囲気。なんか、サッカーやボクシングの試合みたいですね。世界中が観戦しているのです。「やれ!やれ!」と。まるでオリンピックの次のイベントのようです。

 

「降参なんてとんでもない!国家が乗っ取られるじゃないか」という声が飛んできそうですが・・・「国家」って何ですか?そんなものどこにあるんですか?それはあなたが守らなければならない、あなたの「もの」ですか?

あなたが守るべきものはあなただけ。政治家や武器商人が自分の既得権益を死守するための「国家」はあるでしょうが、そんな国家に忠誠を尽くす意味はありません。

国家を守るために武器を持たされて戦うなんて、意味がわかりません。高齢者を守るために子どもがワクチンを打たれるという意味がわからないのと同様に。

 

「降参」は恥でしょうか。ロシアに乗っ取られるでしょうが、ウクライナ国民の命までは乗っ取られないでしょう。ウクライナだけでなくロシアも含めて多くの人々が助かる道です。

戦争を仕掛けてくる方が悪であって、降参する方は善です。恥じるべきは勝者の側でしょう。そんなふうに思えないのは、我々が無条件に勝者を絶賛する歴史、勝者によって書かれた勝者に都合のよい歴史をずーっと頭に叩き込まれてきたから。

 

縄文人アボリジニアイヌ、ホピ族・・・戦わなかった善の民族によって書かれた善の歴史を、今こそ我々は学び直さねばならないのではないでしょうか。