神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

屋良朝苗氏の真相


最近、「まさか」という話が多くて、思考がたびたびリセットされています。

沖縄が日本に併合されたときの行政主席だった屋良朝苗(やらちょうびょう)氏。

当時は日本の平和憲法を素直に信じ、併合に前向きだった沖縄。早期併合を求める陣営に乞われ、教職員出身でクリーンなイメージの屋良氏が政界入りしました。

併合前に「基地のない平和の島」を求める建議書をまとめ上げ、1971年11月17日、それを持って上京したものの、建議書を手渡す間もなく、沖縄返還協定は自民党により強行採決されてしまいました。屋良氏と県民はともに無念の思いを嚙み締めたはずなのですが・・・。

先日参加した県史出版記念シンポジウムで、沖縄国際大学の前泊博盛教授が、屋良氏が事前に採決強行を知っていたのではないかという疑惑を仄めかされていました。

最近出てきたいろいろな文献・資料を分析すると、そういう可能性がありそうだというのです。県民が願っていた建議書の提出にも、当初は反対していたという話も出てきました。

今回改めてWikipediaを見ていたら、日米が推した西銘順治候補を破って行政主席に当選し、その後の沖縄県知事も務めたとはいえ、多くの県民が反対する中、屋良氏が天皇万歳を三唱して顰蹙をかった事件もあったといいますから、どこかで変節したのか、させられたのか、そもそもエージェントだったのか。

今後の研究・追及を待ちたいものです。