今週のお題「かける」
岡山県の山間の奈義町に陸上自衛隊の「日本原演習場」があります。もともと日露戦争後に旧陸軍が強制買収した土地で、米軍に接収された後、自衛隊に払い下げられたもの。そこに、自衛隊から土地を取り戻すため、岡山大学の医学生だった内藤秀之さんが牛飼いとなって移り住みました。
50年に渡り、牛を飼い、田畑を耕してきた内藤さん。奈義町では自衛隊との共存共栄を掲げ、自衛隊のイベントにも内藤さんはじめ、地域の人が参加しています。あれ?人生をかけて、自衛隊と戦うのではなかったの?
違和感を感じつつも、今やともに闘ってきた仲間は去り、演習場内で耕作を続けるのは内藤さん一家のみ。巨大軍事勢力に少人数で正面からぶつかってもしょうがないのはわかります。
それにしても、なぜ自衛隊との戦いが頓挫したのか、今までの戦略は正しかったのか、闘争から何を学んだのか、それを将来の世代にどうバトンタッチするのか、といった反省、考察こそ大事なはずなのに、映画の中ではほとんと掘り下げられていません。
それより印象的だったのは、飼われる牛たち。まるで我々日本人のように従順で大人しく、角をへし折られ、競り市へのトラックに乗り、解体場へと運ばれていきます。体が大きいし、ちょっと頭突きすれば人間なんか倒せるのに、決して反抗せず、憂いに満ちた目で自分の運命を黙って受け入れているのです。
生まれたときから牛舎で餌を与えられ、管理され、自分の力がどのくらい大きいものか、試したこともないし、試そうとも思ったこともないのでしょう。管理社会の中で、生まれたときから常に比較され、成績をつけられる我々も、自己卑下にかけては牛同様かもしれないと思いました。
牛舎の運営、牛の日々の管理は休みなしの重労働。内藤さんは高齢で持病もあり、乳牛の飼育は引退したそうです。演習場が放牧地として使えるようになれば、牛たちも運動ができ、爪切り、給餌などの管理・メンテナンスも楽になるのではないでしょうか。
欧米では放牧が基本で、犬を使って牛や羊をコントロールするのが伝統芸ですね。
同様に、覇権国の植民地支配はお金も手間もかかって非合理的なので、現地住民(犬)による現地住民支配という間接統治に切り替えてきた歴史があります。
日本にも、涎を垂らして主人に尻尾を振るアメリカのエージェント(犬)がウロウロしています。