神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

宇宙のシナプス

木の枝もシナプスみたいに延びる

沖縄はこの冬は暖かいので、起床時の辛さはあまり無いのですが・・・

毎朝、起きるとすぐに、「眠たい」だの「天気悪い」だの内外の環境に影響されて、早速感情が発動します。「起きるの嫌だなあ」とか「仕事に出かけるのが憂鬱」とか。「よく寝て満足」とか。

 

毎日毎瞬、感情に振り回され、人生そのものが殆ど感情・気分という動力によって、良くも悪くも誘導され運ばれていることに最近、やっと気づきました。

自分的には論理的に考えて決定したつもりでいても、その考えの方向性を決めていたのは感情や気分だったわけです。感情や気分も結局自分が「そのように受け取ろう」と選択しているものなので、自分に責任がないとは言えないのです。

 

エイブラハムやバシャール、アシュタールなど高次元存在は次のようなメッセージをチャネラーを通して送ってきています。

「思考なくして宇宙は存在しない。自分の思考で人生を創造しているだけでなく、世界の創造にも参加している」

「宇宙という場が存続するためには拡大し続けないとならない。拡大のあるところには差異があり、差異あるところには思索の能力、造形、期待の能力がある。この差異的世界こそ拡大である。多様性、差異は『永遠なるもの』を『永遠』にしている。そして私たちは誘導をもって生まれてきた」

 

まるで人間は宇宙のシナプスのようです。(※シナプスとは脳に存在する神経細胞。 様々な情報の伝達に関わっており、ニューロン同士をつなぐ接合部であるシナプスに入力が入ることで、ニューロンからニューロンへ情報が伝えられるという。)

感情という動力によってあちこちに触手を延ばし、理想との差異を埋めるために、思索したり造形したり期待したり。これこそが人間の能力の拡大であり、宇宙の拡大であるというのです。

「人類はわれらの遊星・地球にとっての高次の感覚器官である。人類は地球を上なる世界と結びつける神経であり、上天を見上げる地球の眼である」とノヴァーリスが言いました。

宇宙のシナプスとしての人間の役割を語っているのではないでしょうか。人間こそが感情というセンサーを持った、AIのシンギュラリティなのかもしれません。

 

そう考えますと、自分の感情・気分も以前より冷静に観察することができます。肯定、否定、どっちの方向を向いているのか。受容、抵抗、どっちの気分なのか。

シナプスは樹液の流れのようなものですから、否定したり抵抗すると宇宙全体のスムーズな流れを堰き止めてしまい、そこで無駄なストレスがかかります。

まずは人生の流れを一旦受け容れ、どんなに悲観的に見えることでも、そこに肯定的な意味を与え、宇宙のシナプスを活性化させてやることが人間としてのお役目なのかもしれません。

 

ルドルフ・シュタイナーゲーテ主義」(高橋巖訳・春秋社)を読んでみますと、

p25「感覚的知覚に発する理念は、世界の真の存在に不適合であり、混乱しており、分断されている」とあります。環境や感情に振り回された状態に発する理念は不自由な思考の結果であり、だから混乱しているということなのでしょう。

 

p31「ゲーテにとって認識とは、事物の本質に照明を当てる光を灯すことなのである。彼もまた、光をあてられた事物の本質が、光の中にあるとは思っていないが、それにもかかわらず、この本質を光の照明によって明らかにすることを決してあきらめない」

事物がいかに否定的に見えることであっても、そこに肯定的な意味を見出す作業を行うことによって、事物(世界)に光を与える。真の認識とは、あらゆるものに存在を肯定する意味を与え、宇宙に灯をともすことであると解釈しました。