神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

「庶民」と「大衆」

今週のお題「最近、初めて〇〇しました」

        大衆は資本家に骨までしゃぶられる    沖縄県立博物館

先日、近所の世捨て人に教えられ、初めて理解したことがある。

世の中は「大衆」と「庶民」に別れつつあるというのだ。

「庶民」とは貧しいが知恵のある人々のことである。自分たちで考え、自分たちのネットワークを持ち、法や行政に依存せずとも自律的な倫理感があり、節度と品のある暮らしを送っている。ご隠居さんとして慕われる長老的な人も存在する。

 

「大衆」とは、小金持ちだが生活の知恵が無い人々だ。

知恵が無く常に不安だから、権威やステレオタイプに安心する。大型ショッピングモールや大型遊園地が大好き。大衆の中には尊敬される長老は無く、若作りに熱心な孤独な老人がいるだけ。

 

沖縄でも、金目当てに占う大衆のユタと、神に祈りを捧げる庶民のユタでは格が違う。

今ではめっきり庶民が減った。いるのは大衆ばかり。

それもそのはず、街にある昔ながらの小売店や市場を潰して、大型スーパーや高層マンションを造り、庶民のコミュニティを破壊してきたからである。

那覇でも戦後から続いてきたバラック造りの農連市場が数年前に潰され、跡地にのうれんプラザなるものができたが、無機質なコンクリートの箱である。薄暗く通気も悪く、狭いし散策の雰囲気ではない。

テナント料も馬鹿高く、おじいやおばあの薄商いでは到底払えないから、昔ながらの商人たちは去って行った。お客が気軽に行き来する自由も活気も失われた。

 

庶民を大衆につくり変えたのはフランス革命が最初と言われる。

フランス王国では庶民だった人々が、フランス国民へと改編された途端、細かい法の支配構造ができた。法の支配と言えば聞こえは良いが、国による国民の奴隷化である。法は結局、奴隷の縛りなのである。

そして、365日、資本家の手中にあるのが大衆である。

子どもの頃からマックでハンバーガー中毒になり、イオンモールで買い物し、休日はディズニーランドで過ごすのが生きがいだと刷り込まれてきた。

大衆(マス)となった人々を巨大資本家が都合よくコントロールするのがマスメディアという装置である。こうして資本主義に翻弄されるのがマス(大衆)の宿命なのである。

 

が、この流れから自主的に抜け、意識的に庶民として生きようとする人々のコミュニティが世界中に生まれつつある。

エコビレッジなど、ひとつひとつは小さいかもしれないが、小さいから良質で個性的でかけがえのない価値があるのだ。大きくなると、それは規格化されたつまらないマス(大衆)になってしまうから。

少数の良心のある政治家がいくら頑張っても、大衆が変わらなければ、社会は変わらないだろう。大衆に期待するのはやめた方がよい。

酷な言い方だが、大衆は見限り、できるだけ大衆から精神的にも物理的にも距離を置く生活が賢明のようである。

自分は庶民として生きるのかどうかを考えよう。

 

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