今週のお題「ちょっとした夢」
この世界は、ちょっとした夢なのかもしれない。
ラメッシ・バルセカール著「意識は語る」を読んだ。
この世には私もあなたも誰もいない。「意識」しかないのだそうだ。
それがワンネスといわれるものなのだろう・・・。
ラメッシ曰く「幻想とは時間を超えては存在しない何かです。幻想は現れたり消えたりする何かです」
過去とか未来とか?
「悟りもまた観念です。現実それ自身も観念なのです」
つまり、意識がみる夢か?
「悟りが起こるのはひとつの出来事であり、他の出来事と同じように、その出来事は道具として人間を必要とします。悟りは全体性の機能の一部として起こる出来事です」
お役目として、誰かが悟るのですね。しかし、
「意識はどんな悟りも必要ではありません」
そりゃ、そうよね。
「あなたはたくさんのテーマの中に入ることができますが、占星術、輪廻転生などすべてのテーマは現象性の中にあります。もし私たちが現象性を超えることに関心があるなら、私たちの本当の関心は、そういったテーマではありません」
現象だけ見てても本質はわからないと。現象の先(奥?)にあるものを見よと。
仏陀「どんな自己もいないので、自己の転生もない。しかし、行為と行為の継続的影響はある。行為は為されるが、どんな行為者もいない。転生するどんな実体もなく、どんな自己も一つの場所から別の場所へ移動したりしない。しかし、ここで声が発せられると、それにふさわしい反響が戻って来る」
確かに、他人や自分自身の行為の反響でできている世の中であります。
ラメッシ曰く「誰も本当には電気が何かを正確には知りません。電気は電気がすることをやります。このように電気には、観念と意識の面があります。
電気は何十億の電気器具を通じて働きます。もし電気器具が心と知力をもったならどうなるか、想像してみてください。電気器具はそれ自身のためにたくさんの問題を産みだすことでしょう。台所の電気器具は「なぜ私が台所の電気器具なんだい?私は原子力発電所になりたい。不公平じゃないか。私を作ったのが誰であれ、不公平で、不当だ」と言うかもしれません。
肉体精神機構が死ぬとき、その機構を通じて機能していた意識は、電気が電気器具を通じて機能しているのとまさに同じことだということです。もしその器具が壊れても、電気は機能し続けます」
意識は電気みたいなもの?
「エゴは同じ非個人的意識の個人的表現です。非個人的意識がエゴを創造し、そのエゴが今度は自分を創造した源泉である非個人的意識のほうへと向きを変えているのです。エゴは障害、敵ではありません。エゴは単なる虚構です。なぜ虚構と闘うのですか?」
なんか、凄い理知的な本だ。
「なぜあなたは人生の問題にそんなにも気づくのでしょうか?なぜなら、生きていることがかなりおかしいからです!もし生きていることが自然ならば、消化システムや呼吸システムのスムーズな働きのように、生きていることは何の問題も与えないことでしょう。でも、生きていることは問題を与えます。なぜなら、あなたが自然に生きていないからです。あなたは自然発生的に生きていないからです。あなたは「自分」の観点から生きているために、生きていることが問題を産みだすのです。それは誰の欠陥でも誰の罪でもありません。肉体精神機構が意識、つまり神の主体性を侵害するために、意識がそれ自身をおのおのの肉体精神機構と一体化したのです。それから、娯楽とゲームが始まりました」
あら、まあ。
「私たちが個人から非個人の中へ退けば、そのときにはどんな問題もなくなるでしょう」
「ヒットラーが戦争を生み出したのではなく、戦争がヒットラーを生んだのです。
・・・意識がそれ自身の中ですべての夢を創造したのです。意識が夢見られた人物を通じて、すべての役割を演じているのです。意識それ自身がこのドラマを演じ、認識しているのです。それが信用詐欺であり、その馬鹿馬鹿しさをあなたが理解するとき、それが悟りです。この理解が完全に実現するとき、それが悟りです」
なるほど。
ラメッシは元銀行頭取まで勤めた人で、合理的でシンプル、淡々とビジネスライクな語り口がスキ♡♡♡