今週のお題「ストックしているもの」

読んだ本、観た映画、出かけた場所、食べた料理などを忘れていることが多い。
本や映画を途中まで見て、「あ、これ前に見たことあるかも」と気づくときの情けなさ。
注意力もなくボーッとした性質のせいなのだが、かなり貴重に思えた本でも内容を思い出せなかったりする。「貴重」ということは覚えているのだが、「何が」貴重だったのか覚えていないのだ・・・。
あの世に持っていけるのは、記憶がすべて。
それで、今年から読書メモをつけることにした。特にメモすることがなくても、とりあえず、タイトルと著者だけはメモしておく。
遅読であるが、一年分となると、結構なストック量になった。いろいろ読んでいたんだ・・・そして、どれもこれも忘れていた・・・と、ちょっとびっくりする。
今月は、モームの「月と六ペンス」を読んでいる。
本屋の平場に並んでいるような最近流行りの小説は、ゲームに負けじと刺激的で、神経が逆立てられるようなものが多く、閉口していたところだった。
古典といわれるものは、あまりまじめに読んでこなかったけれど、限られた人生の残り時間を考えると、もう古典しか読まなくていいかなあと思う。
風雪に耐え、今日まで生き残ってきた作品こそ、本物の文学であり、永遠の生命力がある。読了すると、たっぷり寝た朝みたいに、何か活力をいただけるのである。
「月と六ペンス」はゴーギャンをモデルにした作品である。妻子や仕事を捨てて、人生半ばから画家を目指した男、ストリクランドのハチャメチャな半生を描いている。
芸術家として生きると決めてからの、彼の傍若無人ぶりが圧倒的である。その程度は人知を超えており、周囲の人々の迷惑も顧みず、彼は自分の道を突き進む。
何が彼をそこまで動かすのだろうか。謎である。
「世間は、風変りなことをする風変りな人間でいっぱいなのだ。人間というものは、望み通りの存在になっているのではなく、そうならねばならぬという存在になっているのだ、とたぶん彼らは知っていたのだろう」
確かに、望み通りの自分には仕上がっていない。が、なるべくしてなった自分であるというなら、「まあ、そうかも。しょうがないね」と納得できる。諦観だろうか。
「人生には、なんの価値もありゃしない」というストリクランドの身もふたもない言葉が清々しく、なぜか救われる気分である。