内田樹の借りたかった本が貸し出し中でしたので、彼と観世清和との対談集「能はこんなに面白い!」を読んでみました。能は以前観たことがありますが、何がいいんだかイマイチわからなかったので。
世阿弥が立ち上げ、約700年の伝統を持つ能。それは観るものでなくやる(演じる)ものであると自ら能楽の研鑽を積む内田氏は言います。
彼は武道家でもあるので、型、間合い、気合など能の謡にも通じるところがあるのでしょう。謡や仕舞の稽古をすると、能の周波数に合わせることができるようです。
内田氏によると、能の根本は「供養」だそうです。能が描くのはその社会で最も弱い人間たち。敗者、非業の最期を遂げた者、世界の周辺に押しやられた人たちを取り上げ、主人公にして、その恨みのたけを語らせ、それによって敗者を癒すというのです。
観世氏も、敗者を甦らせ、引き上げる世阿弥の優しさをいつも感じながら稽古するそうです。
名曲「松風」にしても「隅田川」「井筒」にしても、視点は死者や病者ですね。
もともと神に捧げるものとしてあった猿楽を洗練し、発展させた能。人間の弱さ、情念を最も美しい形で神に献納する芸術と言えそうです。
能ではリハーサルというものはしないそうです。わずか一回「申し合わせ」と呼ばれる通し稽古をする程度。オーケストラやバレエのように指揮者がいてその合図に合わせるという発想がないのです。
お互いの表現に意識は向けますが、合わせようという配慮はない。それぞれが表現をぶつけ合うことにより、そこから一つの新たな世界が創造されると考える。
微妙なズレが味となり、表現の奥行となる、と観世氏。確かに、幽玄の世界ってズレが必要かもしれません!
改めて能をもう一度観たくなるような本でした。