今週のお題「外でしたいこと」
4月、学校は新年度。
外に出たくても出れない、出ない子どもたちが増えている。活きのいいはずの子どもなのに、死んだ魚のような目をしている。勉強も部活も興味はないし、将来の夢もないし、何もやりたいことがないのだと言う。
沖縄県内の小中学校の不登校児童は5762人(2022年度)と1000人あたりでは全国ワーストだという。その数は年々増加している。
不登校児童が増えた原因についてコロナの影響で生活リズムが乱れたことなどがあげられている。が、それだけではあるまい。
最近大問題になっているのが、教師の不足。
このままでは授業が成り立たないほど定員割れで、苦肉の策として定年退職した教師を呼び戻しているそうだ。
沖縄といえば公務員か土木・観光・コールセンターくらいしか仕事はないので、安定した職業である教師の人気は高いはず。なのに不足しているというのは、「不登校教師」も増えているということではないか?
自由のきかないガチガチな管理体制、やたらオープン仕様な教室で息を抜けない監視体制、専門家が不在なのにどんどん増える発達障害や情緒障害児、現場に関係ない役人に提出するための膨大で無意味な書類制作・・・。
こんな職場環境で精神に異常をきたさない教師の方がおかしいのではないか?私だったらとっとと逃げ出す。
すると、今、現場にいる人はすでにおかしくなっている人が多いのではないか?あるいはよほど鈍感な心臓と頑丈な身体を持っているのか。もう半分死んでいるゾンビなのか。
そんなアブナイ教師に教えられている子どもたちが、学校を怖がって不登校になるのも無理はない気がする。むしろ人間としては不登校児の方が健全なセンサーが働いていると思うのだが。
離島など人口が極端に少ない所では、全校生徒3人に先生5人など(なんと校長までいるという馬鹿馬鹿しさ)、手厚いというか鬱陶しいくらいの格差がある。
先生たちも人手が多くて時間もたっぷりだから、生徒と存分に遊べて毎日楽しいらしい。
楽しげな先生に教わる授業は楽しいはずである。シンプルな道理なのに、それと逆行する支配・服従を教え込む学校教育はもう末期的である。
悲壮感しかない先生が、暗い目つきの生徒を叱咤、調教する日々。
国民の幸せなんかこれっぽちも考えておりません、目指すは軍事的な教練です、と明確な方針が見て取れるこの国の行政である。
うっかり学校に行くと、大切な子どもに「日本の呪い」という不幸の種を植え付けることになりかねない。さりとて、親たちは、学校に子どもを預けて共稼ぎしないと暮らしていけない。
学校しか行くところのない子どもたちが、本当に可哀そう、なんて呑気にコメントしているが、これは我々の社会に埋め込まれた地雷なのである。いつか必ず爆発するであろう。