神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

奴隷制は終わらない

今週のお題「上半期ふりかえり」

ラニアは意外と怖がりらしい。恐怖にかられて相手を襲う。


今年もはや6月。

時間は不思議である。有るとも無いとも言える。

はるか昔のことが記憶も生々しく感じられるかと思えば、昨日食べたばかりのものが思い出せないほど遠く感じられたり。

何かに熱中しているときは、時が止まっているかのようだ。それは「今」しか存在しないからだという。「今」しかないから、「今」の自分にとっての未来や過去への心理的距離、意識の距離が、時間というものなのかもしれない。

 

WHOが先月中にパンデミック条約を締結させようと企んでいたが、多くの国が難色を示した。

当たり前だ。たかが保健係がパンデミックをでっちあげ、国家を牛耳ろうとするようなトンデモ条約にサインするわけがない。

東京では反WHOの大規模なデモが行われたが、案の定マスコミは無視。

無視することでマスコミの正体もばれるとは思わないのか、もうばれてもどうでもいいのだろう。マスコミにいるのはジャーナリストではなく社畜だけであることも、我々はすでに学習した。

社畜が報道することは洗脳がらみなので無視し、報道しないことは真実なので、注目すべきことが逆に拾いやすく、わかりやすくなったとも言える。

 

今回のことでWHOは諦めていない。執念深い蛇のマークのごとく、次の機会を狙っている。何しろ、世界統一人間牧場を目指して、世界中の人にマイクロチップを埋め込むのが究極の目標なのだから。

チップを入れさえすれば、遠隔操作で思い通りに人間を操れる。つまり、人間牧場の管理が飛躍的に簡単になるというわけだ。限界まで働かせるのも、限界まで搾り取るのも、思考操作も簡単確実。これは魅力的ではないか。

 

奴隷制は昔話のように語られるが、今だに終わっていないどころか、近代化されて全世界に薄く広く拡大続行していることに気づいている人はどれだけいるだろうか。

昔のように、見た目が鎖で繋がれていないだけである。

が、子どもは学校に繋がれ、大人は会社に繋がれ、社畜となる。病人や老人は病院に繋がれる。小さなコミュニティは破壊され、我々は大型資本スーパーがないと生きていけなくさせられている。これはじわじわと仕組まれたことだ。

 

生活の知恵の伝承を失わさせられ、電気、ガス、水道等公的インフラなしでは生活できなくさせられている。本来、健全な人間として持っていたはずの、ものごとを見る力も、聴く力も、疑う力も、考える力も、自由に表現する力も奪われつつある。

自分は弱い、自分には力がないと思い込まされている。政治家や医者など権力者、権威者に頼らねば生きていけないと洗脳され、彼らの指示に盲目的にひれ伏して従っている。自ら考える力も無く短絡的だから、従わない者を排除するのが正義だと思い込む。これが奴隷とどう違うのか?

そして、最終的に、完璧な奴隷制度はチップを入れたら完成するのである。

 

 

沖縄の絶滅種

今週のお題「私の〇〇ランキング」

毎日いろんな虫がやって来る

沖縄には個性的な人が多い印象だ。低賃金・長時間労働でまともな企業が少ないので、自分で起業する人が多い。地域芸能が盛んな土地柄なので、歌や踊り、三線など上手な人が多い。

おおらかな民族性と温暖な気候風土で、自己表現の方法もいろいろあっていいんじゃない?といった自由な雰囲もある。

しかし、こういった沖縄独特の人々も、今や日本の大企業の趨勢に飲みこまれ、経済的困窮に追い込まれ、隅っこで細々と生きている絶滅危惧種のようである。

 

先日、「沖縄のヤモリ・トカゲー爬虫類を通して島を見るー」という講演会が沖縄県立博物館で開催されていた。講師は琉球大学熱帯生物圏研究センターの戸田守氏。

琉球列島は生物多様性の宝庫であるが、レッドデータブックによると、爬虫類をはじめとして、絶滅危惧種だらけだそうである。

乱開発による生息地の消失、外来種による捕食、農薬の影響、ペット販売目的の乱獲などが絶滅の主な理由である。

特にトカゲモドキ類はペットとして人気らしく、捕獲・商取引が禁止されているが、闇で売買されている。

捕獲については監視が必要であるが、絶滅種の存在を周知すれば違法採集される危険があるという。かといって、存在を秘匿しておけば開発により生息地が潰されかねない、といったジレンマがあるそうだ。

こっそり保全することは可能か?というのが戸田氏の最大の関心事らしいが、研究者にありがちな「木を見て森を見ず」のように思われる。

ペットとしてどれほど売買されているか数字が明らかにされていなかったが、一匹一匹業者がちまちま捕獲するのと、乱開発で一気に生息地を奪うのとではインパクトが違いすぎるではないか。

まずはこれ以上の乱開発を止めるべきだ。そのためには、我々がどんな生物と共生しているのかを知ることが先決ではないか。

宮古島の固有種である美しいミヤコカナヘビを見たことも聞いたこともないという地元の人も多いというので驚く。そして、情報を秘匿しようとしている研究者がいることにも驚く。

まずは我々がどんな生物と共生しているのか周知・学習し、一緒に生きていけるよう絶滅危惧種を守るべきではないか。

アーミッシュの凄い戦略

今週のお題「防水グッズ」

 

美しい蓮は泥を養分とする

防水、防風、防火・・・いろいろ防がなければならないものが多い世の中。

物質主義社会の精神的支配を防ぎ、心身ともに霊的に守ろうとしているのが、アーミッシュである。結果、コロナ騒動もまったく関係なく、平穏に神との暮らしを続けている。

 

アーミッシュはヨーロッパで迫害されたキリスト教プロテスタントの分派で、アメリカ各地に居住し、300年前の生活様式を今でもそのまま続けている。人口は増え続け、35万人以上いるらしい。

物欲社会と一線を画し、厳格な戒律で電気もガスも自動車も使わない、昔ながらの質素で堅実なライフスタイルを守り続けている。一部にはソーラーパネルやパソコンは必要に応じて使うなど、規制が緩やかなコミュニティもある。

コミュニティ内の決め事は、すべて住民全員の承諾によって慎重に決めるそうだ。重要事項なのに、過半数の多数決で決まってしまう似非(えせ)民主主義とは大した違いである。

アーミッシュに生まれた人間だからといって、無理やりコミュニティ内に閉じ込めることはしない。16歳になるとコミュニティ外に進学や就職をして、好きな場所で自由に暮らすことも認められている。外の世界が気に入れば、戻ってこなくてもよいのだ。

当然、戻ってくるのはアーミッシュとしての人生を自ら選択した人々であり、むしろ出たい人はとっとと出て行ってもらった方が、コミュニティの健全さを保つことになる。

はっきりけじめをつけ、合理的で賢いプログラムである。

 

アーミッシュが警戒するのは便利にかまけた生活と、それに溺れて自堕落に生き、神を見失う現代人なのである。警戒するものには近づかない。麻薬を禁止するように、遠ざけるのが一番だ。だから、彼らは厳しく戒律を作り、生活を律する。

自動車は使わず、馬車を使う。ガスは使わず薪で火を起こす。町にレストランなどというものは無く、食事は自宅か友人の家で手料理を楽しむ。

頭でっかちな高慢ちきにならないよう、学校は最低限のことしか教えず、家庭が中心となって子どもの教育を行う。子どもは親と一緒に畑仕事や工作や料理や縫物をすることによって生活の知恵も学び、自然な形で伝統を受け継いでゆく。(教育を見知らぬ他人に丸投げする我々とは大違いだ・・・)

権威の塊のような教会はなく、各家が持ち回りでホストとなり、皆が集まって聖書を読んだり讃美歌を歌ったり、話し合ったりする。各家庭が暖かい、生きた教会なのだ。なんと深く、庶民ひとりひとりの成長を育む知恵であろうか。

 

さらにびっくりするのは、現代に逆行するようなアーミッシュの生活が、外部の世界に比べて大変豊かであることだ。

彼らが食する地元農産物は無農薬、有機栽培だし、除草剤を撒かない牧草を食べて育つ健康な牛の乳も、安全で美味しい。外部の人々が食べている農薬まみれの野菜やジャンクフードより高級である。コミュニティ内で消費して余った分は外部に引っ張りだこだから高値で売れる。

熟練の家具職人もいて、彼らの作品は数百万円単位でバンバン売れるという。

300万円のテーブルなど買うのは外部の金融資本家たちだから、アーミッシュが売りつける相手はほとんどサタニスト連中なのである。なんと、アーミッシュはサタニストを利用して生活しているわけだ。

神聖な暮らしを営むために、サタニストを養分とする。

戦略としては現実的、合理的で、相当賢い人々ではないか、と感心してしまう。

我々外部の人間のように心身ともに電磁波や化学物質などに汚染されていないから、頭もハッキリしているのだろう。

 

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「庶民」と「大衆」

今週のお題「最近、初めて〇〇しました」

        大衆は資本家に骨までしゃぶられる    沖縄県立博物館

先日、近所の世捨て人に教えられ、初めて理解したことがある。

世の中は「大衆」と「庶民」に別れつつあるというのだ。

「庶民」とは貧しいが知恵のある人々のことである。自分たちで考え、自分たちのネットワークを持ち、法や行政に依存せずとも自律的な倫理感があり、節度と品のある暮らしを送っている。ご隠居さんとして慕われる長老的な人も存在する。

 

「大衆」とは、小金持ちだが生活の知恵が無い人々だ。

知恵が無く常に不安だから、権威やステレオタイプに安心する。大型ショッピングモールや大型遊園地が大好き。大衆の中には尊敬される長老は無く、若作りに熱心な孤独な老人がいるだけ。

 

沖縄でも、金目当てに占う大衆のユタと、神に祈りを捧げる庶民のユタでは格が違う。

今ではめっきり庶民が減った。いるのは大衆ばかり。

それもそのはず、街にある昔ながらの小売店や市場を潰して、大型スーパーや高層マンションを造り、庶民のコミュニティを破壊してきたからである。

那覇でも戦後から続いてきたバラック造りの農連市場が数年前に潰され、跡地にのうれんプラザなるものができたが、無機質なコンクリートの箱である。薄暗く通気も悪く、狭いし散策の雰囲気ではない。

テナント料も馬鹿高く、おじいやおばあの薄商いでは到底払えないから、昔ながらの商人たちは去って行った。お客が気軽に行き来する自由も活気も失われた。

 

庶民を大衆につくり変えたのはフランス革命が最初と言われる。

フランス王国では庶民だった人々が、フランス国民へと改編された途端、細かい法の支配構造ができた。法の支配と言えば聞こえは良いが、国による国民の奴隷化である。法は結局、奴隷の縛りなのである。

そして、365日、資本家の手中にあるのが大衆である。

子どもの頃からマックでハンバーガー中毒になり、イオンモールで買い物し、休日はディズニーランドで過ごすのが生きがいだと刷り込まれてきた。

大衆(マス)となった人々を巨大資本家が都合よくコントロールするのがマスメディアという装置である。こうして資本主義に翻弄されるのがマス(大衆)の宿命なのである。

 

が、この流れから自主的に抜け、意識的に庶民として生きようとする人々のコミュニティが世界中に生まれつつある。

エコビレッジなど、ひとつひとつは小さいかもしれないが、小さいから良質で個性的でかけがえのない価値があるのだ。大きくなると、それは規格化されたつまらないマス(大衆)になってしまうから。

少数の良心のある政治家がいくら頑張っても、大衆が変わらなければ、社会は変わらないだろう。大衆に期待するのはやめた方がよい。

酷な言い方だが、大衆は見限り、できるだけ大衆から精神的にも物理的にも距離を置く生活が賢明のようである。

自分は庶民として生きるのかどうかを考えよう。

 

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一神教とアニミズム

今週のお題「懐かしいもの」

蝶も霊的存在とされる

アニミズムというと古代日本を思い浮かべるが、その信仰感覚は今なお我々の中に生きている。

先週はアメリカの日本に対する巧妙な支配について書いた。

大戦以前から西洋列強による東洋支配熱が凄かったことはご承知の通り。宣教師をスパイも兼ねて次々と送り込み、八百万の神を信じていたアニミズムの日本人を一神教キリスト教に改宗させようとしたのである。

生まれも育ちも一神教という、神と己が対峙する西洋の厳しい宗教感覚からすると、何でもかんでも神と崇めるアニミズムはまったく理解できなかったであろう。すべてを神とし、自然を敬い、和をもって暮らしている東洋人は野蛮であり、文化程度も低く、傲慢にも矯正してやろうという「親切心」も働いたと思われる。

 

しかし、どれだけ頑張ってあちこちに教会を建て、投資してミッションスクールを造っても、今でも日本のキリスト教信者は全体の1パーセント(文化庁調べ)。それほど、日本人と一神教はそりが合わないらしい。

沖縄に「てーげー(いい加減)」という言葉があるが、西洋にはないと思う。それこそが一神教アニミズムの違いなのである。

アニミズムはすべてが神様だから、基本的に来るものを拒まない。神か悪魔か知らないが、神の定義が八百万なのだから、どっちでもいい。海の向こうから来た客人をもてなすのが喜びであり幸せだ。

西洋にかつて侵略されたことがあっても、そんな歴史はイスラム教典のように「目には目を」と執拗にならず、孫子に語り継ぎもせず、自分の代でサッと水に流し、深く考えもせず、今の時代の流れ、強い者に乗っかって、ただただ漂っていくのである。

そうして生きてきたのが日本人であり、西洋のやりたい放題の侵略もどうにかなるだろうと気にせず、いつも能天気でいる元凶なのではないか。

 

翻って一神教は恐ろしいほど徹底的に、人間を戒律や道徳で縛る。生まれたときから西洋人は厳格な神の目から逃れることはできない。

それに反逆したのが悪魔主義者(サタニスト)である。サタニストは徹底的に神を否定することを選んだ人々だ。それは彼らの信条であり、信念であり、目的なのであり、趣味でやっているわけではない。自らを捧げたサタニズムというある意味哲学なわけで、そもそも覚悟が違うのだ。

ちゃらんぽらんでフワフワしたアニミズム民族は歯も立たない。第一、そんなに真剣に神と向き合ったことも対立したこともないから、何でサタニストがそこまで人生賭けて、知恵を絞って神に反抗するのか理解に苦しむ。神だって人間だって、一緒にワイワイ楽しめれば、それでいいじゃないか?

 

厳しい神と対峙して徹底的に自我を鍛えられた西洋人が、徹底的に信奉、遂行するサタニズム。徹底しているから狂信的だ。

およそぼんやり生きてきた日本人はじめ東洋人には理解できない世界だが、悪魔に仕える狂信サタニストが跋扈し、八百万の神の世界を片っ端から破壊し、この世を暗黒世界に塗り替えようとしているのは確かである。

日本に「防衛」は無い

今週のお題「ラジオ」

 

GWは韓国人で賑わっていた備瀬ビーチ

受信できる局が変わったというより、最近、日射しの入り方が変わってきている。季節のせいではなく、明らかに去年と違うのである。

午前中から日当たりが良かったはずなのに、午後からしか日が入らなくなった。地軸がずれたのか、太陽がずれたのか・・・。皆さまのお宅はいかがでしょうか?

 

ところで、与那国島自衛隊誘致派と反対派で揉めている。

農業出身で牧歌的な糸数町長に言わせると、自衛隊に来てもらって、軍備により島をしっかり防衛したいそうだ。世間知らずというか、なんともメルヘンチックな浅知恵に驚く。こんな町長と道連れになる反対派島民に同情する。

 

そもそも日本に「防衛」なんて芸当ができるのか?

防衛とは、国を守ることであるが、今の日本はアメリカから防衛できていないではないか。敗戦後、今日に至るまで、実質的に日本は独立国ではなく、かの国の植民地なのだ。

傀儡政権が置かれ、日本人が統治しているように見せかけて、政治も経済もアメリカの支配下にあることは周知の通り。

米軍基地からアメリカ人は入国審査無しに入り放題だし、日本上空の制空権も押さえている。戦後、日本人が一様に馬鹿でものを考えなくなるような教育システムを作らせ、アメリカ国債や兵器を際限なく買わせ、大企業やインフラを乗っ取り、監視しにくい特別会計(なんと毎年400兆円以上)などから血税を略奪してきた。

アメリカにやりたい放題やらせておいて、「日本は独立国でございます」なんて、ちゃんちゃら可笑しい。

 

日本に「戦争」はあっても「防衛」は存在しないのだ。これは国民の共通認識として合意すべきだ。そうしないと、いつまでたっても話が嚙み合わない。

自衛隊基地やミサイル弾薬庫を置くとか置かないとかの問題じゃないのである。置いたって置かなくたって、どっちみち植民地の分際では勝手に「防衛」はできないのだから。

アメリカが「戦争やれ」と言ったらやるしかないのだ。アメリカにとって、日本人は人間じゃなくて闘牛なのである。

 

日本の真の敵は手配師アメリカである。

しかし宗主国であるアメリカに盾つくと制裁が待っている。スノーデンが暴露したが、日本中のインフラのスイッチもアメリカが握っているのだ。停電も地震津波も火事も、かの軍事大国のお得意メニューなのである。

 

「じゃあ、日本も対等に強くなるために核を持つべきだ」とメルヘンチックな人は言う。

・・・それこそ持つも持たぬもアメリカの許可のもと、核のスイッチは結局アメリカが持つのである。

核を使用するもしないもアメリカの支配下で操られ、結局戦争というビジネスに利用されるだけなのである。

教科書でちゃんと教えるべきだと思うのだけれど、本当の事は書かれていない。メルヘンばかりである。

今こそ精神生活を取り戻す

今週のお題「名作」

  沖縄人の精神的支柱も希薄になりつつある    崇元寺のガジュマル

日本をリードする企業が次々と外資に乗っ取られ、この国のインフラであるNTTや東京メトロまでも売り飛ばす算段がつけられたという。国民の財産が次々と売国奴によって略奪されているのに、抗議の声やデモはマスコミに無視され、我々は為す術もなく茫然と立ちすくんでいる。  

1919年からシュタイナーは、社会を支える土台は経済生活ではなく精神生活だと繰り返し主張していた。が、百年たって、我々の精神生活はますます経済的な圧力によって不自由極まりないところにまで堕ちてきたようだ。

 

我々の身体も心も文化も労働も他人に対する感謝なども、今やすべてが商品化されている。商品だから、すべて損得で考える営利主義が支配する。

「商品」しかない世界で、いったい人間の尊厳を実感することができるのだろうか。尊厳なしに人間は生きていけるのだろうか、とシュタイナー研究の第一人者、高橋巖氏は問いかけている。

シュタイナー社会論の重要な講義録である「社会の未来」と代表的な著作「社会問題の核心」は、現代に持ち越す根源的な問題を扱っていて、興味深い。

これを踏み込んで、なおかつわかりやすく解説した高橋巖氏の集中講義録が春秋社より「シュタイナー社会論入門」シリーズ二分冊としてこの春出版された。

 

特定の意見を排除する言論統制や、正答以外を許さない軍隊主義的学校教育、空気を読まないのは非常識とされ個人の自由な表現が疎んじられるような「空気」がある。

これに対して、名もなき個人としての我々がしっかりと意志を持たないと、社会全体が破局に向かっていくという。今、最も重大なのは精神生活の危機なのである、とシュタイナーは主張する。

 

本来、社会は生きた有機体であり、我々のもうひとつの身体とも言える。

生命体として望ましい精神生活は「自由」、望ましい経済生活は「友愛」、望ましい法生活は「平等」であり、それらを原則としなければならない。が、今はその自由、友愛、平等があるべき分野に関係なく軽率にごちゃ混ぜにされ、お互いに矛盾や混乱をはらむ原因となっているのだ。

たとえば経済生活における友愛、法生活における平等を実現するための具体的に有効な方策として、高橋氏はすべての人が基本的な生活水準を担保できるベーシック・インカムを提言している。

 

また、我々プロレタリアートが心の拠り所もなく生きがいを見失っている原因として、為政者に押し付けられた科学主義を挙げている。共同体に育まれた昔ながらの価値観を捨てさせられ、科学主義=物質主義だけが正しいものとして押し付けられた。

金を生まない精神生活には何の価値もなく、物質的な土台があってはじめてくっついてくるオマケみたいなものと見なされているのだ。

 

ブルジョアも科学主義は建前として持っているが、ブルジョアジーとしての歴史や文化、教養、信仰などが精神的支柱としてしっかり彼らを支えているという。

確かにブルジョアの「豊かさ」というのは物質面だけではなく、彼らのもつ奥深い文化的なバックグラウンドに裏付けられた精神的な広がり・豊かさにある。

日々雇われ仕事で食うや食わずの生活している労働者階級には縁遠いものだ。自分を振り返ってみても、労働者の興味・関心・問題はせいぜい衣・食・住しかないのだ。

 

精神を耕し、育み、その豊かな実りを楽しむための土台を、手段を、意志を、我々は持っているだろうか?

必要なのは深い探求心をもって、もう少し自らの歴史や文化を自分のものにしていくことではないだろうか。損得ではなく、自分にとっての価値あるものを見つけ出し、それを大切に守り育てることではないだろうか。価値の創造。

とても重要な気づきが多く、考えさせられる本である。

 

高橋巖氏は先日2024年3月30日に逝去された。ご高齢だが、前日まで講義をされていたという。奇しくもシュタイナーと同じ命日であった。心からご冥福を祈ります。

 

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自然力は地球自身の中にある

今週のお題「お弁当」

昔は海鮮丼セットも安くて気軽に食べれた

コンビニ弁当をいただくくらいなら自作の方が安心安全なので、弁当派である。

外食も値上がりが激しい。沖縄は飲食店が多く、昔は(4~5年前までは)ボリュームたっぷりで安くて美味しいのが魅力であったが、最近は観光客も増え、原材料費も値上がりし、本土並みかそれ以上の値段である。

こだわりの味も薄れつつあり、食べ歩きの楽しみも減った。

沖縄そばの店が次々と閉店し、ラーメン屋に変わっていくのも淋しい。ちょっと前まではほとんど無かったのに、今はラーメン屋だらけである。

 

お題と全然関係ない話をするのがこのブログ。

先日、「ヒマラヤ聖者の生活探求 第二巻 神性開顕」(ベアード・B・スポールディング著)を読んでいたら、聖者が凄いことを言っていたので以下、ちょっと長いが引用する。

「地獄とか悪魔とかいう特定の地域や住家があるようなのではない。それはただ悟りを開いていない人間の想念の中にあるだけである。~中略~熱や光、その他多くの自然力は実は地球自身の中にあると言い伝えられてきている。太陽にしてもそれ自体としては熱も光もないのであって、ただ熱と光とを地球から引き出す潜勢力があるだけである」

なんと!アシュタールと同じようなことを言っている。
「太陽が地球から熱と光とを引き出すと、熱線はエーテルの中に泛んでいる大気層によって地球に跳ね返されて来るのである。光線も大体、同様な方法で地球から引き出されてエーテルによって地球に跳ね返ってくる」

光もか!

「空気は比較的低くしか拡がらないから、地球表面を離れ大気層の外側の限界に上昇するにつれて、熱線の効果は違ってくる。空気は次第に希薄になるから反射も次第に減ってくる。その結果、上昇すればするほど熱は少なくなり、寒冷が増してくる」

だから山頂は太陽に近いはずなのに寒いのか。

「熱線は地球から引き出されて反射する毎に、地球に落ちて還り再生される。空気の限界まで到達した時には、実は同時に熱の限界にも到達しているのである。光線の場合も同様で、地球から引き出されてエーテルによって反射される。このエーテルは地球からは空気よりも高い所まで拡がっているから、光線は遠く高く拡がってから全部反射する。エーテルの限界はそのまま光線の限界である」

だから宇宙は真っ暗。

「熱と光の限界に達すると非常な寒冷に逢着する。この寒冷はいわば鋼鉄よりも強固であって、エーテルと大気層とを殆ど抵抗のできない力で圧迫し、結合している」

だから熱い(とされる)太陽があるのに宇宙は寒いのか。。。

こんなに腑に落ちるドラマチックなこと、教科書に書いてありませんね。

 

 

 

 

 

不登校教師の時代

今週のお題「外でしたいこと」

 

天妃小学校近くの天妃宮の扉

4月、学校は新年度。

外に出たくても出れない、出ない子どもたちが増えている。活きのいいはずの子どもなのに、死んだ魚のような目をしている。勉強も部活も興味はないし、将来の夢もないし、何もやりたいことがないのだと言う。

沖縄県内の小中学校の不登校児童は5762人(2022年度)と1000人あたりでは全国ワーストだという。その数は年々増加している。

不登校児童が増えた原因についてコロナの影響で生活リズムが乱れたことなどがあげられている。が、それだけではあるまい。

 

最近大問題になっているのが、教師の不足。

このままでは授業が成り立たないほど定員割れで、苦肉の策として定年退職した教師を呼び戻しているそうだ。

沖縄といえば公務員か土木・観光・コールセンターくらいしか仕事はないので、安定した職業である教師の人気は高いはず。なのに不足しているというのは、「不登校教師」も増えているということではないか?

 

自由のきかないガチガチな管理体制、やたらオープン仕様な教室で息を抜けない監視体制、専門家が不在なのにどんどん増える発達障害や情緒障害児、現場に関係ない役人に提出するための膨大で無意味な書類制作・・・。

こんな職場環境で精神に異常をきたさない教師の方がおかしいのではないか?私だったらとっとと逃げ出す。

すると、今、現場にいる人はすでにおかしくなっている人が多いのではないか?あるいはよほど鈍感な心臓と頑丈な身体を持っているのか。もう半分死んでいるゾンビなのか。

そんなアブナイ教師に教えられている子どもたちが、学校を怖がって不登校になるのも無理はない気がする。むしろ人間としては不登校児の方が健全なセンサーが働いていると思うのだが。

 

離島など人口が極端に少ない所では、全校生徒3人に先生5人など(なんと校長までいるという馬鹿馬鹿しさ)、手厚いというか鬱陶しいくらいの格差がある。

先生たちも人手が多くて時間もたっぷりだから、生徒と存分に遊べて毎日楽しいらしい。

楽しげな先生に教わる授業は楽しいはずである。シンプルな道理なのに、それと逆行する支配・服従を教え込む学校教育はもう末期的である。

悲壮感しかない先生が、暗い目つきの生徒を叱咤、調教する日々。

国民の幸せなんかこれっぽちも考えておりません、目指すは軍事的な教練です、と明確な方針が見て取れるこの国の行政である。

うっかり学校に行くと、大切な子どもに「日本の呪い」という不幸の種を植え付けることになりかねない。さりとて、親たちは、学校に子どもを預けて共稼ぎしないと暮らしていけない。

学校しか行くところのない子どもたちが、本当に可哀そう、なんて呑気にコメントしているが、これは我々の社会に埋め込まれた地雷なのである。いつか必ず爆発するであろう。

 

 

 

 

 

 

 

カルマは日々つくられる

今週のお題「きれいにしたい場所」

2024年春 沖展に出品されていたシュールな作品

毎日掃除をしているのに、なんでこんなに埃が溜まるのだろう・・・。

部屋にこんなに溜まるのだから、人との争いや復讐心、嫉妬や攻撃的な思考など精神的なゴミも日々かなり溜まっているのだと思う。

成仏させるべき精神のゴミ。それがカルマというものではないだろうか。

 

よく前世のカルマと言われるけれど、この世でも毎日カルマを作っているのである。

生きること=カルマ製造だとしたら、生きてることは善くないと思うけど、善く生きることによってしかカルマは解消されないのがイタいところだ。このゲームの深く面白いところでもある。

毎日生まれるカルマはその後地道に解消されたり、放置していると積み上がったままになっていたりする。

精神の掃除をさぼっているとカルマが溜まる。さすが物質世界ならではの道理である。

 

 

 

 

 

 

 

オリジナルを育む

今週のお題「あんこ」

ユニークな顔の魚

食欲のない時など、たびたび米麹から甘酒を作っています。アミノ酸豊富な甘酒は「飲む点滴」とも言われますね。乾燥麹にお湯を注ぎ、6~8時間炊飯器で保温するだけなので簡単に作れます。

小豆麹にすれば砂糖も不要。一日水に浸けた小豆を煮て、麹と一緒に発酵させてみました。小豆麹をバターを塗ったパンに載せれば、あんバターパンの出来上がり。優しい甘さで、予想以上に美味しいです♡

料理は苦手でしたが、自己流でいろいろ作るうちに、オリジナルの美味しさや楽しさに目覚めたところです。

 

ところで先日亡くなったそうで、小澤征爾追悼番組をよく見かけました。

日本の指揮者として初めてウイーンフィルやらボストンフィルやらに迎え入れられ、クラシック界のメインストリームを歩んだそうです。

サイトウ・メソッドに忠実なその指揮は、まるで踊りやパフォーマンスのよう。髪振り乱して獅子舞のようにエキゾチックだから、映像時代の欧米にウケたのかもしれません。

オーケストラに難しい要求もせず、とても物分かりのよい、人当たりのよい、奏者に慕われる指揮者だったようです。主催者側からすれば、他の頑固な指揮者に比べ、営業しやすいビジネスパートナーだったとも言えるでしょう。

「昔はフルトヴェングラーなど、指揮者といえば徹底的に独自の世界を持っていたが、オザワみたいなそつのない中身のない指揮者が登場してきて時代が変わった」とクラシックおたくの友人が辛口のコメント。

確かに、譜読みはやたらと忠実ですが、作曲家そのものへの理解・関心はイマイチのような・・・。だからどれをとってもポピュラーソングみたいに聴こえるのかしら。

オリジナルを作るって難しいですね!

 

左脳にバイバイ

今週のお題「練習していること」

         動物は右脳優位?      与那国馬

ネドじゅんさんはある日突然右脳に目覚めた女性。

右脳は感情を司り、左脳は思考を司るが、現代社会では左脳が右脳を無視し、丸め込むことが多い。それが結果的にストレスとなったり、自分を見失い、望まぬ事態を招いてしまう原因になったりする。

右脳の領域をどんどん侵食することによって、左脳はエネルギーを得て活発になるが、本体である我々は疲弊してしまうという。

 

確かに、直感や感覚的に嫌だと思っても、損得やしがらみなど左脳で悩んだ挙句に出した答えにしっくりこないことが多いし、後悔することも多いのではないだろうか。

左脳で考えることがあたりまえの習慣になってしまった今、右脳を元気にし、本来の実力を発揮させてあげることが必要。練習すれば、直観力を上げたり、日常の幸福感を増すことができるようになるという。

 

著書「左脳さん、右脳さんーあなたにも体感できる意識変容の5ステップ」で紹介されていたのは、まずはエレベーター呼吸。息を吸い込んだら、空気を入れたエレベーターの床が喉からお腹の底に体を通って下がっていくのをイメージする。吐くときは床が腹から喉の方へ移動する。

そして右脳散歩。散歩中は常にお腹に意識を向ける。お腹の中が少し明るく感じる方向、楽しく感じる方向、惹かれる方向に歩く。右脳=お腹に任せて歩けば、意外な物を見つけるかもしれない。意外な人に出会うかもしれない。どこに着いても、練習だから気にしない。

 

世の中は自分一人じゃ変えられないと思っていたけど、右脳レッスンで自分が変われば世界が変わるのかも、と思えるお話でした。

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沖縄のジャーナリスト我那覇真子(がなはまさこ)

今週のお題「卒業したいもの」

沖縄はいろいろミックス猫が多い

戦争、パンデミック、環境汚染、労働搾取、財産没収、健康被害、詐欺、盗難、いじめ、パワハラ・・・この地球に生きているといろんなことに巻き込まれますよね。

こういうことを仕掛けてくる者のいない世界に心静かに暮らしたいとつくづく思うものです。

 

次から次へと人々の自由を奪う法案も目白押し。5月にはパンデミック条約の改悪が予定されています。

その内容は、感染症が流行ったら加盟国はWHOに絶対服従する、というWHOの強制力が国権を超えて強大にするもの。まるで世界統一政府への足掛かりのようですね。

感染症のウイルスをばら撒き、マイクロチップ入りのワクチンを強制的に打たせ、人々を遠隔操作したり人口調節したいのでしょう。マッチポンプの手口はバレバレなのですが。

このWHOの強権的な動きに反対する人々が世界中で標的にされています。

メリル・ナス医師もその一人。沖縄在住のジャーナリスト我那覇真子さんがインタビューしたこの動画もある日突然消去されて見れなくなると思います。

(我那覇さんは右翼でしたが、最近はリベラルな論調に変わってきたみたい・・・)

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春なんか来てない

今週のお題「小さい春みつけた」

蘭は年中真っ盛り

沖縄では冬もカラフルな花が絶えないので、とりわけ春が待ち遠しいとか、はっきり春を認識するという機会はないようだ。もう来月は海開きなのである。

今冬は特に暖かく、最高気温が20度を下回る日は少なかった。ダウンコートを着た日はたった数日であった。寒がりにとっては有難い。

 

こんなに暖かく湿度もある南国なのに、なぜかインフルやコロナ、風邪が流行っている。学級閉鎖する学校もあるようだ。考えられる原因はアレの接種による免疫システムが破壊と推測されるが、どこの機関もはっきり究明しようとしない。

そもそも研究というのは予算があってはじめて着手できるものである。だから、予算たっぷりの商業べ―スにのった研究は、商売に都合のよい結果が導き出されるような結論ありきの「研究」ばかりが行われることになる。

例えば抗癌剤の効果について研究はいっぱいあるが、抗癌剤を使わない方が癌が治ったとか長生きしたという研究はほとんど無い。そんな研究結果が出ても、製薬会社や病院のカネにならないからである。

 

アレも同様である。アレが売れなくなるような研究なんて、資本家がカネを出すわけない。アレが売れなくなる報道もマスコミでは禁止されるから、我々は自力で調べなければならない。だから、アンテナを研ぎ澄ます必要がある。

最近、体調を崩す知り合いが多くなってるとか、葬儀場がやたら増えて繁盛してるとか、(今に始まったことではないが)政治家が常軌を逸しているとか、報道が特定の利益集団のために偏向しまくっているとか。肌感覚に意識的になることが重要だ。

 

特に有害だと思うのが偏向教育である。

近代の戦争はだいたい資本家の都合でマッチポンプで引き起こされるのだが、そういう本当の歴史は教えない。

宣教師が初来日したのは1549年で、その年号を必死で暗記したものである。

が、そもそも「宣教師」とは何者だったのか。我々は習わなかったし、学校の先生も宣教師の正体を知らなかったようである。

しかし、実態を見れば、500年近く経った今でも「宣教師」は日本に続々と来ている。日本に溶け込み、日本人に取り入り、楽々とスパイ活動を行っている。

「宣教師」事件は終わっていないし、日本に春なんか来てないのである。

歴史は現在と紐づけて学ばないと意味がない。

 

 

 

 

 

 

自由は必然

今週のお題「大発見」

          沖縄では猫ものんびり     奥武島

ウチナンチュ―(沖縄の人)は、おしなべてのんびりしている人が多い。

訪れた店が定休日以外に突然閉まっていても、注文した料理が遅れても、近所の人がうるさくても、自分が騒音を出すのも、子沢山でも、あまり気にしてない様子。

それに比べ、ヤマトンチュ―(日本人)は深刻でせっかちな人が多い気がする。

沖縄に来たからには何か成し遂げなければと、使命感に燃える。意味を探す。休日でもゆっくりできず、ソワソワする(私だけかしら?)。

 

何かしなきゃ。月桃茶作らなきゃ。図書館に行かなきゃ。ブログ書かなきゃ・・・と脈絡もなく駆り立てられるのは私の中の内なるエンジン、プログラミングが起動しているのだと思う。

いつのまにかそういう設定がされていたという意味では、私は方向づけられたマシンのようである。

マシンに自由はあるのだろうか?

マシンである私の自由とは、感じ方、判断の自由ぐらいではないかしら。

やりたいことをやるのは自由というより必然なのであり、必然こそ魂がすんなりと喜ぶようである。だって、必然以外にはやる気がしないのだから・・・。

私が私であることに諦めて(受け容れて)、あまり深刻にならず、私のやりたいようにやらせてあげるのが良いのかもしれない。