神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

自由は必然

今週のお題「大発見」

          沖縄では猫ものんびり     奥武島

ウチナンチュ―(沖縄の人)は、おしなべてのんびりしている人が多い。

訪れた店が定休日以外に突然閉まっていても、注文した料理が遅れても、近所の人がうるさくても、自分が騒音を出すのも、子沢山でも、あまり気にしてない様子。

それに比べ、ヤマトンチュ―(日本人)は深刻でせっかちな人が多い気がする。

沖縄に来たからには何か成し遂げなければと、使命感に燃える。意味を探す。休日でもゆっくりできず、ソワソワする(私だけかしら?)。

 

何かしなきゃ。月桃茶作らなきゃ。図書館に行かなきゃ。ブログ書かなきゃ・・・と脈絡もなく駆り立てられるのは私の中の内なるエンジン、プログラミングが起動しているのだと思う。

いつのまにかそういう設定がされていたという意味では、私は方向づけられたマシンのようである。

マシンに自由はあるのだろうか?

マシンである私の自由とは、感じ方、判断の自由ぐらいではないかしら。

やりたいことをやるのは自由というより必然なのであり、必然こそ魂がすんなりと喜ぶようである。だって、必然以外にはやる気がしないのだから・・・。

私が私であることに諦めて(受け容れて)、あまり深刻にならず、私のやりたいようにやらせてあげるのが良いのかもしれない。