今週のお題「読んでよかった・書いてよかった2024」
今年もちょこちょこ読んだが、中でもラメッシ・バルセカール「意識は語る」(ナチュラルスピリット)が秀逸にぶっ飛んでいたので、一度取り上げたことがあるが、再びご紹介してみたい。
質問者に対して、バルセカールは徹底的に「全体意識」として答えているのだが・・・その徹底ぶりがシンプルで清々しい。
凡人の「半端な意識」からすると、なんとなくわかったような、わからないような気もするのだけれども。
「エゴは同じ非個人的意識の個人的表現です。非個人的意識がエゴを創造し、そのエゴが今度は自分を創造した源泉である非個人的意識のほうへと向きを変えているのです。エゴは障害、敵ではありません。エゴは単なる虚構です。なぜ虚構と闘うのですか?」とバルセカールは言う。
虚構・・・かもしれないですけどね。実際、この現実感というのはかなり現実的ですからね。
「なぜあなたは人生の問題にそんなにも気づくのでしょうか?なぜなら、生きていることがかなりおかしいからです!」私もおかしいと思ってましたよ!激しく同意。
「もし生きていることが自然ならば、消化システムや呼吸システムのスムーズな働きのように、生きていることは何の問題も与えないことでしょう。でも、生きていることは問題を与えます。なぜなら、あなたが自然に生きていないからです。あなたは自然発生的に生きていないからです。あなたは「自分」の観点から生きているために、生きていることが問題を産みだすのです」そう言われれば、そうかな。
「それは誰の欠陥でも誰の罪でもありません。肉体精神機構が意識、つまり神の主体性を侵害するために、意識がそれ自身をおのおのの肉体精神機構と一体化したのです。それから、娯楽とゲームが始まりました」へえ!!面倒なこと始めたな。
「私たちが個人から非個人の中へ退けば、そのときにはどんな問題もなくなるでしょう」というか、むしろ退くまでがかなり問題なんだけど。
「意識はどんな悟りも必要ではありません」そうでしょうね。
「肉体は悟ることができません」同意。
「覚醒、悟りはそれ自体が一つの観念です。そして、それはまったく必要ないものです。必要はないけれど、それは起こるのです。何があなたを探求者にしたのでしょうか?探求は全体性の機能の一部です。他の動物は探求に関心がありません。人間は探求に関心をもち、探求が始まります。なぜなら、その探求は全体性の機能の一部だからです」凄いことだと思ったけど、特別感はないわけですか・・・。
「意識がそれ自身の中ですべての夢を創造したのです。意識が夢見られた人物を通じて、すべての役割を演じているのです。意識それ自身がこのドラマを演じ、認識しているのです。それが信用詐欺であり、その馬鹿馬鹿しさをあなたが理解するとき、それが悟りです。この理解が完全に実現するとき、それが悟りです」アタマでは理解できたかな??
「あなたをここへ連れてきたのは恩寵ではありませんか?あなたをここへ連れてきた恩寵にどの道へ進みたいのかをまかせてみたらどうですか?」ここまで来たらそうするっきゃないでしょうね。エゴ意識が虚構なら、エゴ意志も虚構なのでしょうから。
「意識の源泉は意識です。すべての要素はこの現象の一部であり、それは意識の中の見かけだからです」
どこにあるのやら、不思議だなあ、「意識」って。