神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

今こそ精神生活を取り戻す

今週のお題「名作」

  沖縄人の精神的支柱も希薄になりつつある    崇元寺のガジュマル

日本をリードする企業が次々と外資に乗っ取られ、この国のインフラであるNTTや東京メトロまでも売り飛ばす算段がつけられたという。国民の財産が次々と売国奴によって略奪されているのに、抗議の声やデモはマスコミに無視され、我々は為す術もなく茫然と立ちすくんでいる。  

1919年からシュタイナーは、社会を支える土台は経済生活ではなく精神生活だと繰り返し主張していた。が、百年たって、我々の精神生活はますます経済的な圧力によって不自由極まりないところにまで堕ちてきたようだ。

 

我々の身体も心も文化も労働も他人に対する感謝なども、今やすべてが商品化されている。商品だから、すべて損得で考える営利主義が支配する。

「商品」しかない世界で、いったい人間の尊厳を実感することができるのだろうか。尊厳なしに人間は生きていけるのだろうか、とシュタイナー研究の第一人者、高橋巖氏は問いかけている。

シュタイナー社会論の重要な講義録である「社会の未来」と代表的な著作「社会問題の核心」は、現代に持ち越す根源的な問題を扱っていて、興味深い。

これを踏み込んで、なおかつわかりやすく解説した高橋巖氏の集中講義録が春秋社より「シュタイナー社会論入門」シリーズ二分冊としてこの春出版された。

 

特定の意見を排除する言論統制や、正答以外を許さない軍隊主義的学校教育、空気を読まないのは非常識とされ個人の自由な表現が疎んじられるような「空気」がある。

これに対して、名もなき個人としての我々がしっかりと意志を持たないと、社会全体が破局に向かっていくという。今、最も重大なのは精神生活の危機なのである、とシュタイナーは主張する。

 

本来、社会は生きた有機体であり、我々のもうひとつの身体とも言える。

生命体として望ましい精神生活は「自由」、望ましい経済生活は「友愛」、望ましい法生活は「平等」であり、それらを原則としなければならない。が、今はその自由、友愛、平等があるべき分野に関係なく軽率にごちゃ混ぜにされ、お互いに矛盾や混乱をはらむ原因となっているのだ。

たとえば経済生活における友愛、法生活における平等を実現するための具体的に有効な方策として、高橋氏はすべての人が基本的な生活水準を担保できるベーシック・インカムを提言している。

 

また、我々プロレタリアートが心の拠り所もなく生きがいを見失っている原因として、為政者に押し付けられた科学主義を挙げている。共同体に育まれた昔ながらの価値観を捨てさせられ、科学主義=物質主義だけが正しいものとして押し付けられた。

金を生まない精神生活には何の価値もなく、物質的な土台があってはじめてくっついてくるオマケみたいなものと見なされているのだ。

 

ブルジョアも科学主義は建前として持っているが、ブルジョアジーとしての歴史や文化、教養、信仰などが精神的支柱としてしっかり彼らを支えているという。

確かにブルジョアの「豊かさ」というのは物質面だけではなく、彼らのもつ奥深い文化的なバックグラウンドに裏付けられた精神的な広がり・豊かさにある。

日々雇われ仕事で食うや食わずの生活している労働者階級には縁遠いものだ。自分を振り返ってみても、労働者の興味・関心・問題はせいぜい衣・食・住しかないのだ。

 

精神を耕し、育み、その豊かな実りを楽しむための土台を、手段を、意志を、我々は持っているだろうか?

必要なのは深い探求心をもって、もう少し自らの歴史や文化を自分のものにしていくことではないだろうか。損得ではなく、自分にとっての価値あるものを見つけ出し、それを大切に守り育てることではないだろうか。価値の創造。

とても重要な気づきが多く、考えさせられる本である。

 

高橋巖氏は先日2024年3月30日に逝去された。ご高齢だが、前日まで講義をされていたという。奇しくもシュタイナーと同じ命日であった。心からご冥福を祈ります。

 

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