今週のお題「懐かしいもの」
アニミズムというと古代日本を思い浮かべるが、その信仰感覚は今なお我々の中に生きている。
先週はアメリカの日本に対する巧妙な支配について書いた。
大戦以前から西洋列強による東洋支配熱が凄かったことはご承知の通り。宣教師をスパイも兼ねて次々と送り込み、八百万の神を信じていたアニミズムの日本人を一神教のキリスト教に改宗させようとしたのである。
生まれも育ちも一神教という、神と己が対峙する西洋の厳しい宗教感覚からすると、何でもかんでも神と崇めるアニミズムはまったく理解できなかったであろう。すべてを神とし、自然を敬い、和をもって暮らしている東洋人は野蛮であり、文化程度も低く、傲慢にも矯正してやろうという「親切心」も働いたと思われる。
しかし、どれだけ頑張ってあちこちに教会を建て、投資してミッションスクールを造っても、今でも日本のキリスト教信者は全体の1パーセント(文化庁調べ)。それほど、日本人と一神教はそりが合わないらしい。
沖縄に「てーげー(いい加減)」という言葉があるが、西洋にはないと思う。それこそが一神教とアニミズムの違いなのである。
アニミズムはすべてが神様だから、基本的に来るものを拒まない。神か悪魔か知らないが、神の定義が八百万なのだから、どっちでもいい。海の向こうから来た客人をもてなすのが喜びであり幸せだ。
西洋にかつて侵略されたことがあっても、そんな歴史はイスラム教典のように「目には目を」と執拗にならず、孫子に語り継ぎもせず、自分の代でサッと水に流し、深く考えもせず、今の時代の流れ、強い者に乗っかって、ただただ漂っていくのである。
そうして生きてきたのが日本人であり、西洋のやりたい放題の侵略もどうにかなるだろうと気にせず、いつも能天気でいる元凶なのではないか。
翻って一神教は恐ろしいほど徹底的に、人間を戒律や道徳で縛る。生まれたときから西洋人は厳格な神の目から逃れることはできない。
それに反逆したのが悪魔主義者(サタニスト)である。サタニストは徹底的に神を否定することを選んだ人々だ。それは彼らの信条であり、信念であり、目的なのであり、趣味でやっているわけではない。自らを捧げたサタニズムというある意味哲学なわけで、そもそも覚悟が違うのだ。
ちゃらんぽらんでフワフワしたアニミズム民族は歯も立たない。第一、そんなに真剣に神と向き合ったことも対立したこともないから、何でサタニストがそこまで人生賭けて、知恵を絞って神に反抗するのか理解に苦しむ。神だって人間だって、一緒にワイワイ楽しめれば、それでいいじゃないか?
厳しい神と対峙して徹底的に自我を鍛えられた西洋人が、徹底的に信奉、遂行するサタニズム。徹底しているから狂信的だ。
およそぼんやり生きてきた日本人はじめ東洋人には理解できない世界だが、悪魔に仕える狂信サタニストが跋扈し、八百万の神の世界を片っ端から破壊し、この世を暗黒世界に塗り替えようとしているのは確かである。