シャンタル・アケルマンというベルギー出身の映画監督を知りませんでしたが、彼女が若干25歳で撮った「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」を観て仰天しました。
思春期の息子とブリュッセルのアパートで暮らす未亡人ジャンヌのつましく規則正しい生活をほとんどリアリズムで描いています。こんな定点観測みたいな手法の映画、観たことありません!
買い物に行く、じゃがいもの皮をむく、コンロの火をつける、スイッチを消す、ベッドメイキングする、片付ける、息子と散歩する・・・一つ一つはどうということもなく延々と続きそうなジャンヌの日常。それを非日常的な視点で見ていくと、スクリーンは恐ろしく雄弁に語り出し、200分という上映時間は必要な長さでした。
そして、一見模範的な主婦の平凡な生活の反復の中に、ふとしたきっかけで押し込められていた鬱積した感情が立ち現れるとき・・・日常はいともあっさりと反日常に反転します。
日常という人生を軽視し、日常に復讐されたのはジャンヌなのかもしれません。恐らく私たちも日常を甘く見て適当に受け流して生きていると、うまく立ち回っているつもりでいても、いつかもう一人の自分=反日常に復讐されるよ、とアケルマン監督に警告されたような気がしました。
普通の人の普通の日常が、大変な意味を持って迫って来る。ありふれた、いつもの「日常」こそが、嘘偽りなく自分を語るストーリーに見えてきます。