神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

ヤン・ヨンヒ監督「スープとイデオロギー」

愛あるところは棲みやすい

韓国の済州島(チェジュド)は日本に近い美しい島。観光リゾートとしても人気です。

この静かな島で韓国史最大のタブーと言われる、島民数万人が虐殺された「済州4・3事件」がありました。

 

1945年日本の敗戦後、朝鮮半島北緯38度線で北がソ連に、南がアメリカに分割占領されました。1947年、南北を統一し自主独立国家の樹立を訴えるデモをしていた島民に警官が発砲。6名が亡くなりました。島全体が抗議のゼネストを行い、アメリカ軍は似非右翼青年団体を島に送り込み、白色テロ(権力者・為政者が敵対勢力・反対派に対して行う言論統制や逮捕などの弾圧)を始めました。

島民の不満を背景に労働党は1948年4月3日に武装蜂起。警察組織や似非右翼・反共団体は関係ない市民まで多数巻きこみ、村の70%を焼き払い、8万人を虐殺したと言われています。島民は恐怖で逃げ出し、日本に渡った人も多いそうです。

 

左派弾圧のためにアメリカから送り込まれたのは、反共青年団のほか、ヤクザ組織や旧日本軍関係者の団体もあったといいます。なんかイメージ的に日本会議とか笹川平和(?)財団に結びついてしまうのですが、似非右翼がエラそうにしている日本の今の状況と似ていて悪寒が走りますね。

 

ヤン・ヨンヒ監督のお母様が18歳のとき、この済州島にいて、命からがら日本に逃げたそうです。南の恐ろしさを真の当たりにし、北朝鮮に希望を繋ぎ、息子三人を北朝鮮に送りました。大阪で慎ましく暮らす婦人が背負う、祖国に翻弄された重い歴史は想像に堪えません。

ある日、4・3事件を風化させないために当時の体験者を探す韓国当局者が、監督のお母様を訪ねてきます。淡々と記憶を語るお母様。しかし、その日を境に、彼女はアルツハイマーになってしまうのです。思い出したくない辛い体験を一切封印するように・・・。

今も北朝鮮にいる息子や孫たちに仕送りを続けるお母様に理解を示しながらも、

「私はアナーキストですから、どの国の政府も信用しません」とはっきり言いのけたヨンヒ監督。覚悟された人の言葉でした。