今週のお題「上半期ふりかえり」
今年もはや6月。
時間は不思議である。有るとも無いとも言える。
はるか昔のことが記憶も生々しく感じられるかと思えば、昨日食べたばかりのものが思い出せないほど遠く感じられたり。
何かに熱中しているときは、時が止まっているかのようだ。それは「今」しか存在しないからだという。「今」しかないから、「今」の自分にとっての未来や過去への心理的距離、意識の距離が、時間というものなのかもしれない。
WHOが先月中にパンデミック条約を締結させようと企んでいたが、多くの国が難色を示した。
当たり前だ。たかが保健係がパンデミックをでっちあげ、国家を牛耳ろうとするようなトンデモ条約にサインするわけがない。
東京では反WHOの大規模なデモが行われたが、案の定マスコミは無視。
無視することでマスコミの正体もばれるとは思わないのか、もうばれてもどうでもいいのだろう。マスコミにいるのはジャーナリストではなく社畜だけであることも、我々はすでに学習した。
社畜が報道することは洗脳がらみなので無視し、報道しないことは真実なので、注目すべきことが逆に拾いやすく、わかりやすくなったとも言える。
今回のことでWHOは諦めていない。執念深い蛇のマークのごとく、次の機会を狙っている。何しろ、世界統一人間牧場を目指して、世界中の人にマイクロチップを埋め込むのが究極の目標なのだから。
チップを入れさえすれば、遠隔操作で思い通りに人間を操れる。つまり、人間牧場の管理が飛躍的に簡単になるというわけだ。限界まで働かせるのも、限界まで搾り取るのも、思考操作も簡単確実。これは魅力的ではないか。
奴隷制は昔話のように語られるが、今だに終わっていないどころか、近代化されて全世界に薄く広く拡大続行していることに気づいている人はどれだけいるだろうか。
昔のように、見た目が鎖で繋がれていないだけである。
が、子どもは学校に繋がれ、大人は会社に繋がれ、社畜となる。病人や老人は病院に繋がれる。小さなコミュニティは破壊され、我々は大型資本スーパーがないと生きていけなくさせられている。これはじわじわと仕組まれたことだ。
生活の知恵の伝承を失わさせられ、電気、ガス、水道等公的インフラなしでは生活できなくさせられている。本来、健全な人間として持っていたはずの、ものごとを見る力も、聴く力も、疑う力も、考える力も、自由に表現する力も奪われつつある。
自分は弱い、自分には力がないと思い込まされている。政治家や医者など権力者、権威者に頼らねば生きていけないと洗脳され、彼らの指示に盲目的にひれ伏して従っている。自ら考える力も無く短絡的だから、従わない者を排除するのが正義だと思い込む。これが奴隷とどう違うのか?
そして、最終的に、完璧な奴隷制度はチップを入れたら完成するのである。