沖縄は昔からの交易で、中国とのつながりがとても深いです。
約600年前から300年間にわたり、中国から琉球に渡来してきた人たちは「久米三十六姓」と呼ばれ、その人たちの居住区が現在の那覇にある「久米村(クニンダ)」でした。「クニンダンチュ(久米村人)」と呼ばれ、外交、政治、教育、文化面で大きな役割を果たしたそうです。
久米にある孔子廟は、約2500年前の儒学の祖、孔子を祀る廟で、クニンダンチュの末裔団体が管理しています。約340年前、琉球王国時代に建立されましたが、沖縄十・十空襲で建物、像、蔵書などすべて焼失。現在の孔子廟は再建されたものです。
儒学を体系的にまとめたもので、「目上を敬え」とか「礼を重んじよ」など道徳を盲目的に指示する面白くもないものと思っていました。
その思い込みをひっくり返してくれたのが東大教授、安富歩さん。「生きるための論語」「超訳・論語」などの著者です。
小人とは学習回路が閉じている人。開いている人が君子。
「忠」とは目上や他人というより、自分の良心に忠実であること。
意外や意外、論語は古臭いお説教ではなく、現代に通じるアバンギャルドなテキストだったのです。誰を通訳に選ぶかって、ホント大事ですね~。