神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

2022沖縄県知事選終了

山本太郎様も駆けつけました

9月11日は盛り上がらない沖縄県知事選でした。

投票率は58%。過去2番目に低いらしい。それもそのはず、候補者3名は辺野古反対だが那覇軍港の浦添沖移設には賛成という煮え切らない玉城デニー、自民統一教会に魂を売った佐喜真淳、何を考えて出馬したのか意味不明な下地幹郎。ということで、消去法で選ぶしかない感じでした。

もっと善き候補者は他にたくさんいるのですが、それを組織する力、組織しようという意欲も沖縄人からは失われているように思います。今年は本土に復帰して50年が経ちますが、ずっと基地問題と戦ってきたし、基地をどうするかが選挙時の争点になっています。50年ずーっと、です。いい加減イヤになるのもわかります。

国民に決定権があるとされる「民主主義国」に復帰したつもりだったのに、事実上、「基地を撤去せよ」という沖縄の民意に決定権はありません。「決定権なき決定者」と呼ばれる所以です。(そのくせ、自民統一教会候補者が勝つと「基地は沖縄に容認された」と途端に「容認決定者」にされてしまいます。そういう利用のされ方を沖縄人は承知していて、今回の知事選でも、最低でも玉城氏選出は中央政府に対する断固とした「ノー」という民意だったのです)

が、沖縄だけが「決定権なき決定者」ではありませんね。アベノ国葬問題しかり、日米地位協定しかり。もう、誰に何を言っても無駄だと。日本国民全体が無力感に覆われているようです。

 

先日、辺野古の住民の話を聞く機会がありました。家族の間でも普天間基地辺野古移設賛成、反対で揉めているそうです。家族が分断されるのは基地のせいだ、と怒っています。

しかし、本当に基地問題だけのせいでしょうか?もともとその家族はその程度の繋がりだったんじゃないでしょうか?本当に家族を愛し、大切に思い、だからこそ何があっても相手を理解するという姿勢を貫いていたら、分断なんて起きるかしら?辺野古より家族を愛していたら、争いなんか起きるかしら?なんて言ったら怒られるでしょうけれど。

 

あらゆる問題から解放され平穏に暮らしたいと願うのは当然ですが、「平和ボケ」という言葉もある通り、あらゆる問題は我々に緊張感を与え、思考力を鍛え、実力を磨くきっかけにもなります。安易に環境や人のせいにして責任転嫁するのは簡単ですが、それでは思考停止してしまいます。せっかく与えられた問題を自分のために生かしきれていないと言えます。

問題を解決することより、問題を超越すること、問題から解放されることより、問題を問題だと思う自分を解放することに、意識をシフトしていけたらいいですね。我々は常に問題とともに生きていかなければならないわけですから、問題をただ憎むのでなく何か貴重な関係を築くことができたら、問題は問題のままでありながら、問題ではなくなるのかもしれません。