神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

沖縄愛楽園

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今週のお題「秋の歌」

11月半ば。秋とはいえ、那覇ではまだ半袖で歩いている人もちらほら。晴れていると日差しも強く感じられますが、散策するには良いシーズンです。

 

先日は屋我地島にある沖縄愛楽園を訪ねました。愛楽園はハンセン病回復者の方々が住んでおられ、観光地ではないのであまり知られていませんが、園内の交流会館ではハンセン病の強制隔離政策や患者の証言、使用されていたベッドや隔離された収容に使用された小屋などの資料が閲覧できます。

 

1900年代、ハンセン病コレラやペストと同じような伝染病とされ、「癩予防二関スル件」が制定され、患者の収容が始まりました。1931年「癩予防法」へ引き継がれ、すべての患者の強制隔離が始まります。警察が家まで押しかけ、幼い子どもだろうが老人だろうが無理やり患者を連行したそうです。指定伝染病になると、警察が出動するのですね。いずれ新コロ陽性者も入院を断ると警察に連行されるかもしれませんね!?

 

当時、家族から引き離されたハンセン病患者さんは一生療養所から出れず、実名を名乗ることができず、結婚しても断種手術や堕胎を強制され、亡くなっても故郷の墓に埋葬してもらえない・・・だけでなく、患者の家族も世間から酷い差別を受け、結婚も就職も難しかったといいます。現在、ハンセン病は治療できる病気となっており、早期なら後遺症も残らないそうです。

 

愛楽園は海を望む美しい場所にあります。沖縄戦時は米軍機の標的にもなり、閉じ込められた患者たちが多数犠牲となりました。

交流会館へ続く道のそばにあるビーチは、当時、胎児の遺体を埋めた場所だそうで、海上にぽつぽつと浮かぶ岩のひとつひとつが亡くなった胎児の頭のように見えました。波の音は静かに深くて、嘆きの歌のようです。