今週のお題「最近おもしろかった本」
故・池田晶子さんの「残酷人生論」を読み返しています。「14才からの哲学」「考えるヒント」シリーズなど、折に触れ読むたびに彼女の単刀直入で適確な考察に唸らされます。竹を割ったような潔さ、美しささえ感じます。
極めつけは「死は無い。なぜなら、死は無になることだが、そもそも無は無いからである」。ここまで簡潔に言われると、普通は呆気にとられてしまうのではないでしょうか。我々は本当に複雑怪奇な世界に生きているので、彼女の思考の論理的簡潔さに戸惑う人も多いようです。
沖縄大学土曜教養講座で「米軍人の公務外不法行為とSACO見舞金不支給事件」をオンライン受講しました。ケーススタディは10年以上も前に沖縄で米軍属に襲われ重傷を負ったタクシー運転手がいまだに一円の見舞金すらもらえていない事件です。
まず、被害者側がわざわざ日本の裁判所に訴え、加害者である米軍人の損害額を確定する。日米地位協定により米政府が支払う見舞金をのんびり見積もられる。その差額を、日本政府がSACO見舞金として支払うことになっているのですが、10数年も放置された遅延損害金については支払う義務がないと決めつけ、了承しない被害者側にいまだ元金約140万円の見舞金すら支払われていないというのが、2022年7月に那覇地裁が判決を下した「SACO見舞金不支給事件裁判例」です。
論点として
●そもそもSACO見舞金制度が行政処分かどうか、法体系の位置づけとしてとして曖昧
●延滞金支払いをしないのは行政官僚の「通知」であり、法令ではない。通知の上位法も不明で解釈も不透明
●「必要に応じて給付」という文言が行政側の裁量次第の制度となっており、当事者全員の救済制度になってない
などが挙げられると思いますが、そもそも国民を助ける気は「無」なのが日米の共通合意ということを、国民全員が見るべき判例ですね。
日本各地にある治外法権の米軍基地。米軍属との事故に巻き込まれたら、我々も何の保障もなく捨ておかれて泣き寝入り。他人事ではないのです。
コロナワクチン障害の見舞金もただの「通知」であり法ではないのではないかしら。だから申請しても「裁量で」認められるのは僅か。「通知」かどうか調べようとしましたが、時間がかかりそうでやめました。「通知」だろうが「法令」だろうが、どうせ国は国民を助ける気はないのはこれまでの原発訴訟しかり、違憲訴訟しかり、判例でハッキリしてますしね。
SACO訴訟で被害者を助け、頑張っておられる弁護士さんには頭が下がりますが、彼らの意思を挫き抜くのが当局の目的なのですから、なるべくストレスをためないで、むしろゲーム感覚で攻略を楽しんで、と言いたいです。
我々は最低の政府に付き合って人生の時間を無駄に費やすより、池田晶子など至高の作家と付き合って、豊かな思索の時間を持つことがお勧めです。