神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

夢見る島

今週のお題「夢」

道の駅から見える嘉手納基地

朝鮮がミサイルを飛ばしているとかで、Jアラートがうるさく鳴る。夜中でもいきなり鳴りだすので、びっくりして跳ね起きる。

が、何のことはない、領海外に落ちたというだけである。そんなもの海に落としていいわけはないが、騒ぎすぎではないか。

ミサイルよりJアラートの方が怖い、というおばあもいる。先日のはそもそも弾道ミサイルではなく衛星ロケットだと朝鮮側は発表しているのに、マスコミはミサイルと言いふらす。

朝鮮だけが勝手に軍事演習をやってるように報道するが、それを挑発しているのは朝鮮をはるかに上回る規模の日米韓の軍事演習なのである。

 

アメリカは世界で一番喧嘩っ早く、よその国に何かと因縁をつけ、年がら年中戦争を仕掛けている。ヤクザ仲間、イギリスの縄張り以外のシマを血祭りにする代理戦争も得意なドル箱ビジネスである。

最近アメリカとその手下が煽っているのは台湾有事。台湾の民主主義を中国から守れ、というのが表向きのスローガンであるが、戦争屋がうそぶくそんなものを誰が信じるだろうか?

では、なぜアメリカが太平洋の小さな島、台湾を気にするのか。

莫大なカネをかけ、軍隊を出してまで台湾の民主主義を守る?台湾の人々を守る?

まさか(笑)。彼らはカネにしか興味はないのである。とすると、彼らの本当の狙いは台湾の巨大半導体利権TSMCをいただくことだろう。

経済が弱体化しつつある中国もこの利権が欲しい、というより、絶対にアメリカに奪われてはならない。

これはTSMC有事なのだと理解すれば、アメリカの執着ぶりもよくわかるのではないだろうか。

 

もはや我々は国家が国民を守ってくれるとか、政府は国民の幸福を追求しているなどというお花畑な幻想を捨てた方がよい。

沖縄は琉球処分から始まり、本土の捨て石とされた沖縄戦や米軍基地押し付けを経験しているにも関わらず、次回の戦時には自衛隊や米軍が守ってくれるといった幻想がいまだに真顔で語られている。まったく学習しない人たちだ。

いつまで国家に夢を見ているのだろうか。いい加減、目を覚まして。その認識の甘さにつけこまれ、いつまでも食い物にされていることを知るべきである。これは悪夢なのである。

 

悪しき商習慣が沖縄を襲う

今週のお題「乗ったことがある動物」

 

猫も人を警戒するようになった

今までに乗せてもらったことのある動物は馬、ダチョウ、ゾウ、ラクダなどであろうか。

ラクダはインドのタール砂漠を3泊4日くらいかけて旅したときに、ラクダ使いの少年(名前はアルジュンといった)と一緒に乗せてもらった。

夜はラクダの横で寝る。砂漠の夜は寒いので何度か起きると、いつもラクダは起きていて、口をもぐもぐさせていた。反芻動物らしい。

大人二人を乗せるくらい大きいのだが、性質はとても大人しくて、馬より親しみを感じた。

のんびりラクダを操りながら、アルジュンは物憂げな歌を歌っている。

砂漠に水はないので、カレーを食べた後の皿は砂でサッと拭く。

日中と日没後の激しい気温差に体がびっくりする。

不思議と風邪はひかなかった。が、四日間のツアー後、日焼けで鼻の頭の皮がむけ、着の身着のままで服も髪も汚く、まるでジプシーのようだったのだろう。

ジャイサルメールの駅前だったか、子どもが豆を恵んでくれた。私を乞食と思ったのだ!

 

今でもこんな旅ができるのだろうか?

2012年にインドを再訪した折は、都市化が進んでいてびっくりした。ビルが建ち、道は舗装され、車が増え、歩いていた牛の数も減っていた。犬も鶏も減っていた。代わりにプラスチックのゴミが増えていた。

2023年の今、私の知っているインドではなくなっているに違いない。まったく違う国になっているに違いない。

 

沖縄もわずか数年ですっかり変わってしまった。3年くらい前までは賃貸マンションやアパートの更新料や変な名目の費用はなかったが、今ではほとんど更新料などを課すようである。日本からの悪しき商習慣が輸入、定着してしまったのであろう。

県内のスーパーではイオン(ジャスコ)の評判が悪い。納入業者をタダ働きさせるそうであるが、これは日本の商習慣である。イオンは日本産のスーパーだから、本土なみに納入業者をこき使うのだ。

が、沖縄では業者を下に見る習慣はないので、県産スーパーであるサンエーなどは誰に対しても礼儀正しく、人間としてお行儀がよいそうである。

神の島らしく、日本の悪習慣には絶対に染まらないでいてほしいと願うものである。

 

 

 

 

思考の物質化

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

可愛い子も保存

人間は毎日何万回も思考・決断するそうである。

どれを買うか、何を食べるか、いつ寝るか、他愛ない決断のほか、重要なこと、くだらないこと、様々なことを考えている。

それらの思考は形が無いからほとんど無意識に流れていってしまうけれど、大切な思考は日記やブログにするなり、形にして残しておきたいと思う。

我々は物質世界に生きているので、見えないものは物質化しない限り、「無い」も同然だからである。

我々は思考する動物であるが、忘却する動物でもある。一年前のことも、わずか一週間前のことも忘れてしまうので、書き留めておくことは重要だ。そうすれば、安心して忘れてしまえる。読み返せばまた思い出す。

 

最近書き留めておきたいと思ったのは、フクシマの放射性汚染水の海洋投棄について、日本のマスコミの取り上げ方に違和感をもったことである。

中国からの抗議の電話が市役所や公民館などに殺到しているらしいが、それをアナウンサーが日本に対する「嫌がらせ」と言ったのだ。

自動音声で何カ所にも送りつける中国の抗議のしかたはさておき、汚染水を投棄して世界中に「嫌がらせ」しているのは日本でしょ。

「抗議」を「嫌がらせ」とすり替え、逆ギレする。これを開き直りと言うのではないか?悪いことをしたら素直に謝れ、と小学生に教える大人がこれをやっているのである。

他国もトリチウムを海洋投棄しているというが、日本みたいに炉心に触れた世界一汚い水を流す国はない。どんな放射性核種がどれだけ含まれているかも明らかにされていないのだ。しかも今後、何十年も垂れ流し、永遠に海を汚染し続けるのだ。

どれだけ環境を破壊しているか、生態系を攪乱しているか、事の重大さを受け止め、罪を正しく認識しているとは思えない。

原子力業界の利権団体であるIAEAが決める基準値も超適当で、科学的根拠とは言えない。

そもそも利権団体のいう科学的根拠なんて、誰が信用するのか?見るからにバレバレの詐欺師が「これは詐欺ではありません」と言っているようなものだ。

風評被害」という言い方もおかしい。汚染水を流してる犯人が、被害者ヅラをして威張っているのである。天地もひっくり返る、とはこのことである。

まともな言論は、いったい、どこへ行ってしまったのだろうか?

そもそも、まともな日本人はどれほど生息しているのだろうか?

知的障害の子どもたちが不気味に増大しているが、政治家やマスコミをはじめ、大人も爆発的に知的障害者だらけの国であると実感するこのごろである。 

 

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3S政策だったニューシネマパラダイス

今週のお題「パイナップル」

 

粟国島にそびえる白い凝灰岩壁

沖縄は南国だから果物が豊富というイメージがあるが、スーパーでは果物が大して豊富でも安くもない。チェーン店で流通するだけの量が採れないのだろうか。市場や道の駅で少量多品種を見かけるくらいである。

マンゴーは高価でほとんど贈答用として本土に送られるため、地元庶民は食べる機会がない。今年は台風で落ちて傷ついたマンゴーが贈答用に出荷できなくなり、市場で値引きして売られていたので、多少賞味はできたようである。

コンビニスイーツは食べても、すいかを食べたことがないという子どももいる。

パイナップルは石垣島産のものが有名で、時々市場で見かけるが、食料品が全般に高騰しており、パイナップルも例外ではない。

それでも、甘ったるいケーキより、天然の恵みである果物はおいしい。昔は果物よりケーキを好んでいただいたものだが、本物の良さに目覚めたということか。

 

昔見た映画の評価も、最近になってガラッと変わったことがあった。

数々の賞を総なめした「ニューシネマパラダイス」である。初めて見たときはノスタルジックないい映画だなあという印象であった。あれから幾年月・・・細かいところは覚えていなかったので、桜坂劇場で見直してみたら・・・なんと、これはDS(ディープステート)が作った映画ではないか!?

映画に人々が熱狂する様を描き、スクリーンが素晴らしいものだという印象操作がおこなわれている。庶民を愚民化するための3S政策(Sports,Sex,Screen)に見事に乗っかっているのである。先住民を皆殺しにする映画でも、スクリーンに映れば何でも良きものとされている。

みんな平和に暮らしているのに「村なんか出ていけ、戻ってくるな」と主人公のトトに言う映写技師アルフレードのセリフも意味不明。理由もなく、故郷を捨てろ、育った家もコミュニティも捨てろと言っているのだ。共同体破壊政策である。

トトが好きになるエレナのことをアルフレードが「青い目は信用するな」と言っているが、青い目=DSのことを暗示してほくそ笑んでいるようである。大衆にヒントを残したつもりなのか。

出世したらしいトトが30年ぶりに帰郷するのだが、その目はなんか青っぽくなっていて別人だ。昔はハッキリ黒かったのに。そして、昔神父が切り取らせた映画フィルムの肉欲シーンを次々に映し出し、涙を流して嬉しそうに見ているのだ。これは完全にDSに支配された人間を表現しているのではあるまいか。

映画上映を教会が主催していたというのもDSらしい伝統を物語る。民衆に見せたいものを教会が、君臨する神としてのDSが選ぶのだ。

そういえば民衆の前を羊の群れが横切るシーンがあった。羊の別群としての民衆の暗示に見えた。

全編情緒的な音楽でもたせ、昔の映画の名シーンの切り貼りでつなげ、計算されたヒット作の作りである。かなりDSのスタッフが関与しているのではないかと思われる。なぜなら、その後トルナトーレ監督自身のヒット作はひとつもないからだ。

汚穢と残酷が好きでたまらないDS好みの、牛を殺すシーンとか、血だらけのキリスト像のシーンとか、これって何に必要?という不可解なシーンをサブリミナルのように入れているのも気持ち悪い。

スクリーンの見過ぎで刺激がないと生きられなくなった、小金はあるけど故郷も自分もなくし、肉欲だけに刹那的に生きる小市民に成り下がった小男の映画、と理解を新たにした。

 

 

爬虫類の生態を知ろう

今週のお題「苦手だったもの」

 

昆虫も宇宙人かも

蛇とか蜥蜴とか爬虫類が苦手である。

沖縄ではよほど高層階でなければヤモリと同居するはめになるから、苦手とも言っていられないのだが。

沖縄でヤモリとともに有名なのはハブと呼ばれる蛇である。ハブは大蛇ではないが、猛毒を持っているので危険なのである。

大きな蛇は物理的に強いので、べつに毒を持つ必要がないらしい。ハブは獲物を締め上げることもできない細い蛇なので、毒を持つようになったといわれる。その毒は太古から一定ではなく、いろいろな獲物に合わせて成分を変化させる能力を持っているという。

その結果、個別の動物に効く個別の毒が各種氾濫するようになり、動物界の免疫システムをめちゃめちゃにするそうだ。

 

これって、まさに今我々がやられていることではないだろうか?

薬はある意味、毒でもある。

個別の人間に効く個別の薬やワクチンが各種氾濫し、人間の免疫システムがぐちゃぐちゃにされている。

人間の中に紛れ込むレプティリアンは人型爬虫類で政治や社会を操っている異星人とされているが、やはり基本的に毒を持つ爬虫類であるとすれば、いろんな毒を開発し、人に注入したり、散布したりしているのだろう。それが彼らの生態である。

知らず知らずのうちにレプティリアンの蛇毒を盛られてるなんて、恐ろしい世の中だ。

 

蛇は毒を使ってしまうと、新たな製造に数週間かかるそうだ。

東日本大震災を起こして買い叩いた跡地にワクチン工場を稼働するなど、蛇もシステム拡張に頑張っている。

爬虫類が苦手、とか言っている場合ではなさそうだ。彼らの生態や弱点をよく知って、毒から身を守ろう。

 

 

 

 

隣人は人間ですか?

今週のお題「これって私の地元だけですか」

 

人面みたいな大岩  粟国島

沖縄では戦後、米軍の「銃剣とブルドーザー」によって住民が地元を追い出された。

4人に一人が戦死した沖縄戦終戦で命からがら助かった人々は日本政府にも見捨てられたまま、掘立小屋を建て、畑を耕し、生活を再建しようとしていた。

しかし、米軍は沖縄を出ていかず、引き続き軍事基地として利用しようと、土地を接収する。住民を銃剣で脅して家を焼き払い、ブルドーザーで畑を潰したのである。

もしかしたら、最初からこの島を戦後のアメリカの軍事拠点にするために島中に爆弾を落とし、住民を一掃しようという意図が沖縄戦自体にあったのかもしれない。

 

そんなふうに思ったのは、先日のマウイ島の焼き討ち事件がきっかけである。

ハワイ王朝の古都ラハイナが焼き尽くされ、早速不動産業者が買い叩きに乗り込んでいる。グリーン州知事は焼き討ちの数週間前にラハイナに高層ビルなど建てられるよう法改正済みだという。

段取りが良すぎないか?焼き払って更地になったラハイナを、AIによるスマートシティ化する計画にいよいよ着手するらしい。

フェイク画像やフェイク音声が出回る昨今なので、すべての動画をそのまま信用するのもどうかと思われるが、マウイ島の焼き討ちについて語った書籍が焼き討ち事件の数日前に出版されていたり、焼き討ち当日サイレンが一切鳴らなかったとか、消防車の水が枯渇していたとか、道路が封鎖されて逃げられなかったとか、救援物資が当局に排除されて届かなかったとか、不審な点が多い。

今回マウイ島焼き討ちには指向性エネルギー兵器(Directed Energy Weapon)DEWSが使用されたという説がある。

ロスチャイルド系のペプシコが出すmountain dewにmaui burstという冗談じゃない名称のシリーズが出まわっているのも愉快犯のような予告のようである。

 

マウイ焼き討ちでは近接するセレブの豪邸は無傷だったそうだ。

東京大空襲でも皇居や丸の内は無事で、庶民が住む下町が集中的に焼夷弾で一掃された。阪神大震災では主に火事で神戸の下町が消失し、その後再開発された。東日本大震災では震災跡地がタダ同然で買いたたかれ、でっかいワクチン工場が立つという。

これこそ金融資本vs庶民の戦争ではないか。

戦争を仕掛けられているとも気づかずに庶民は焼き討ちにあい収奪され、滅ぼされるのである。気候変動だの天災だの事故だのと信じ込まされて。

 

長々と行われているロシア・ウクライナ戦争などは一種のドラマ、フェイクではないかという気がする。いまだに戦車や爆弾を落とし、昔ながらの「戦争」というステレオタイプのイメージを我々に植え付けるためである。

武器販売のプロモーションとしても、実戦キャンペーンは効果絶大なのだろう。

戦争ニュースを流せば、武器のコマーシャルもいらないし、人々も洗脳できるし、一石二鳥なのである。

さすが悪魔である。いや、感心している場合ではない。我々も彼らの狙いを読み、賢くならなければいけない。

昔は人間は動物に襲われないように身構えて生きていた。今だって、ぼうっとしているとある種の人間という皮をかぶったケモノに襲われるのだ。

我々は平和ボケというより、人間ボケしていないだろうか。人間に見えるからって、同じ種であるとは言えないのだ。

 

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壊れる離島~粟国島~

今週のお題「最近壊した・壊れたもの」

 

巨岩がごろごろ粟国島

夏休みはフェリーに自転車を積んで、粟国島に旅した。周囲約13㎞の小さな島なので自転車で十分に回れる。

那覇泊港フェリーターミナルは混雑していたが、粟国行きの窓口だけはなぜかガラガラである。久米島や座間味方面に比べて見どころが少ないわけでもないが、宿泊施設の予約にほとんどインターネットが対応していないとか、夜間まで営業している飲食店が少ないとか、いろいろ不便があるからかな?

アジのトルネードなどがダイバーに人気の島らしいが、東ヤマトゥガーやヤヒジャ海岸など絶景の景勝地でも観光客には会わなかった。沖縄本島からの里帰りらしい家族が一組ウーグ浜で泳いでいるくらいであった。

ウーグ浜ではちょっと潜ると珊瑚の残骸が山のようにあった。昔は一面綺麗な珊瑚礁だったのだろう。今ではシュノーケルで行けるところでは、ほんのちょっぴり残っているだけだ。

 

ちょうどヤガン折目祭りに当たり、三線愛好会や民謡グループによるイベントがあった。民謡グループは島の人々ではなく、沖縄本島からの出張であるという。伝統芸能を受け継ぐ人口も減っているようで寂しい。

締めのカチャーシーにも自ら参加して踊る村人は少なく、なんとなく白けたムードが漂う。村の人口は700人程度だが、見物に来ている人々は数十人と少ない。家に閉じこもりテレビを見ている人が多いようである。

テレビは至るところに設置されている。弁当店の店先にまで用意されている。飲食店でもブースごとにあったし、フェリーの中でも客席の正面に大型スクリーンがあり、野球中継をやっていた。客はイヤでも全員それを見せられるわけである。

火山でできた大自然の残る粟国島で、テレビ漬けになっている村人たち。何か壊れた感じがする。

 

 

お金という幻想

今週のお題「ゾッとした話」

街路樹も根元から倒れた

米軍基地のレーダーなどを壊して回る台風6号がリターン。

凄い風雨で県内を浄化中のようです。

3割以上の家が停電しましたが、この風雨の中で復旧作業に当たる人々に感謝です。

暴風警報が出ると県内のバスやモノレール、店や学校などほとんどが閉まりますから、観光される方はご注意ください。

 

有事や超インフレでお金が紙切れになるかもしれない・・・とはよく言われますが、金本位制に基づかない以上、お金はもともと紙切れです。

紙幣と同額のゴールドと交換できるシステムは1929年の世界恐慌以降、徐々に廃止されました。以後はゴールドの保有量とは関係なく、中央銀行が貨幣を発行する管理通貨制度に移行。

 

ゴールドがなくてもいくらでもお金が刷れるようになったため、軍資金が足りなくてできなかった戦争もじゃんじゃんできるようになりました。これを目論んでいたのが金融ユダヤグループで、世界中の国にバンバン金を貸し、戦争をやらせ、ウハウハ儲けました。

その仕組みはちょっと複雑で、国が国債を発行し、それを中央銀行に買い取らせてお金を得るというもの。

詐欺まがいな話で、一般の人にはわかりにくい。各国の王様たちにもわかりにくい。なにしろ、銀行に債務(借金)があるほどお金が増えるという異常な仕掛けなのですから。

でも王様たちはそれに飛びついてしまいました。もちろん、日本も。

日本は戦争に勝ったことも負けたこともありますが、その際に負った莫大な借金を1980年代まで金融ユダヤグループに利子をつけて支払っていたそうです。

日本は戦争で何を得たのでしょう?借金だけが残りました。戦後も恩給や遺族年金、元軍属に払うお金だけでも50兆円にものぼるといわれます。

それだって、いくらでもお金が刷れるならそうやって調達すればいいじゃないかと思われますが、財務省は「国民ひとりあたり1000万円の借金があるからね」と嘘で脅した挙句、増税につぐ増税を強行。

消費税までどんどん上げるので、国民の生活はちっとも豊かになりません。

 

借金があるのは国であって、国民の借金ではありません。

そもそも国の会計は、我々の家計とは違います。我々はお金を刷れませんから!

国はいくらでもお金が刷れるのだから、本当は税金なんて不要なのです。

市場にお金が溢れすぎると過度なインフレになるため、それの調整弁として本来税金は必要なときに適宜徴収されるべきものなのです。インフレ対策として戦争してはいけないのです。

それにしても・・・現代のお金というのは、価値を信じる皆の幻想・思い込みの上に成り立っている「イメージ」でしかないなんて。なんと脆い基盤の上に我々は暮らしているのでしょうか。

金融ユダヤによって中央銀行という奇怪なものをセットさせられたから、戦争産業が大繁盛してるだなんて・・・ゾッとしませんか?

 

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政府は必ず嘘をつく

今週のお題「ベストアイス2023」

 

狙われた島

2023年もまだ終わっていないが、凍りつくような話には事欠かない。

今のところ、沖縄のワーストアイス賞は、台湾有事推進策ではないだろうか。

 

宮古島の千代田駐屯地には弾薬庫、ヘリパッドを作らないという当初の約束を反故にされ、美しい島が次々と軍事基地化されている。

騙された!!と憤っている住民もいるが、一度日本軍の侵入を許したら骨までしゃぶられるのは当然。それが地獄の沖縄戦の教訓だったはずなのだが・・・すっかり忘れられているようである。

レーダー基地などは周辺地域の電磁波が、他の地域と比べて2000倍にもなるという。

放射能と同様、見えないところで住民や観光客の健康被害が危ぶまれる。そういえば、島でおかしな頭痛がしたことがあったような。

 

また、土地規制法が制定され、基地や原発など重要施設について機能阻害条項ができた。

陸上自衛隊の資料によると、反戦デモをなんとテロと同様に扱う、ということになっているそうだ。「戦争反対」の住民の声が弾圧され、潰されることになるわけだが、いったい国は何から何を守りたいのか?

狂った国の敵は、戦争に反対する住民なのだ。まともな住民を敵とし、あらゆる自由を奪い、軍事利権によって住民の財産や「肉」を貪りたいというのが本音である。

 

南西諸島には「自衛官募集」のポスターが貼られ、自衛隊の闇を知らない素朴な学生にとっては高給で安定した職業として魅力的なようである。こうした地元出身の自衛官を島の基地の前面に立たせ、住民の中での分断をはかるという狙いもある。

 

防衛大学だけでなく、自衛隊版の高校も神奈川にあるそうで、高卒資格が得られるうえ、手当も出る。日本中で貧困家庭が増え続けているから、すすんで入学・入隊する子どもも多く、徴兵も問題ないようだ。

国立大は大学法人化により授業料が高額になり、奨学金制度があっても名ばかりで、サラ金みたいに大した利子を要求される。普通に学びたいことを学ぼうとする学生は、政府にネチネチ妨害されるのである。

損か得か、経済原理でしか物事を判断できない国民が増えてくれば、好戦的な軍事国家へ誘導するのは簡単ですね。

 

 

 

日本人研究

今週のお題「自由研究」

沖縄の木の花は鮮やかなのが多い

先日、日本人とユダヤ人の違いについての話題になった。

友人が言うには「日本人とユダヤ人では金儲けの意味が違う」のだそうで、「ユダヤ人は通貨発行権をよこせと言うが、日本人は札束をよこせと言う。これは世界支配のシステムを理解しているかどうかの違いだ」というのである。

ユダヤ人は通貨発行権さえあれば、べつに札束なんか要らないのである。

もし、ユダヤ人が真の人生のシステムを悟れば欲も執着もなくなるから、通貨発行権なども不要になるだろうけれど、世界支配はアドレナリンがバンバン出ちゃうから、それはなかなか難しいのだろう。

 

日本人は日常的な物事の解決も難しく、だいたいの問題は先送りである。

電気卸売り会社の人に聞いた話だが、原発のコストが安く計算されているのは廃炉費用を含めていないからだそうだ。

そもそも廃炉を誰がいつやるか。政府がやるのか電力会社がやるのか決めてないのである。決めてないからコストに計上しなくていいという仕組みになっている。こうなると確信犯である。

さすが、すべて先送りの国である。

 

思えば、私もいろいろなことを先送りにしてきた。その結果、ツケは必ず廻ってくるものだな、と実感しているこのごろである。

 

 

 

発達障害多すぎないか?

今週のお題「やったことがあるアルバイト」

生の音はやはり波動が違います

学生時代は勉強が嫌いなくせに、家庭教師のアルバイトなどしていた。

適当に力の抜けた教え方が合ったのか、引きこもりだった中学生の女子が1年くらいして学校に行けるようになったりした。本人や親から継続をお願いされたが、教育に大して興味も熱意もなかったので、お断りしてしまった。

その後、彼女はちゃんと学校に行けただろうか。今さら心配しても遅いのだが、当時も今も自分の判断の社会性の欠如には呆れてしまう。

 

沖縄でも引きこもりや不登校の子どもが増えている。

不登校が悪いとは思わない。むしろ家で好きな学習をした方が、軍隊みたいな学校に来て洗脳されるより堅実な選択である。

が、不登校とされる子の中には、自分の意志ではなく、どうも情緒障害や発達障害などの機能障害が大きな原因としてあるようなのだ。

集団が怖いとか、肌を露出するのを極端に嫌がるとか、こだわりが強いとか、物事に集中できないとか、じっと座っていられないとか、自分でも制御できない障害を抱えている子が増えているようなのだ。

歴史的に見ると、テレビの普及とともに自閉症の子が徐々に増え始めた。生の音声ではなくテレビやラジオ、CDなど機械的な音に晒すと、子どもの発達障害の原因となるという説がある。また、大気汚染や水汚染、食品添加物、薬物、ワクチンなどが原因とも言われる。

 

知り合いの小学六年生のクラスではなんと半数以上が学習遅延、自閉症、こだわり、暴力傾向、不登校など何らかの障害、問題があるという。

低学年の子でも、話しかけても目も合わせず、反応しない子が多い。朝から死んだような目をして、まるでゾンビのようなのだ。

いったい子どもたちに何が起きているのだろうか?沖縄だけの現象ではないと思うのだが。

教師や親に問いかけても「困ったもんだね」とへらへら笑っているだけで、こちらもまるで目の焦点が合わない虚ろなゾンビみたい。

子どもたちを型に押し込め、可能性の芽をつぶし、軍隊やサラリーマン増産装置としての学校は子どもの墓場だし、そういう学校にまったく疑問を持たない家庭も墓場である。

いよいよ多くの学校が、家庭が、墓場として葬られ、腐敗し、崩壊に向かっているようである。

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今日がベスト

今週のお題「上半期ベスト◯◯」

闘う太郎様💛


有難いことに毎日がベストである。

誰にとっても、今日が自分の人生で一番年長であり、昨日より経験も知識も増え、自己ベストと言えるのではないか?

 

今日はなんと、日本が既に戦場であることに気付けた。

シリア政府軍に嫌々ながら従軍していた遊牧民出身の男性がいる。難民となり、日本人女性と結婚して来日し働きに出るのだが、日本の仕事のやり方になじめない。

彼が言うには、日本の職場は戦場であり、シリアで戦闘していたときより辛いそうだ。とうとう引きこもりになってしまった。

 

銃弾が飛び交うところだけが戦場なのではない。

我々は生まれたときから戦場にいたのだ。ゼロ歳から刷り込まれる幼児教育、軍隊並みに絶対服従の学校教育、ライバルを蹴落とす受験戦争、就活戦、婚活戦、妊活戦、常に追い立てられる不安な生活、そして終活戦・・・。

当たり前のように洗脳されてきたけれど、これ全部やらされたらかなり過酷な人生である。

 

広い沙漠で自給自足を基本とし、誇りと自信をもって暮らす遊牧民からしてみたら、サラリーマンほど屈辱的で理不尽で非人間的な人生はないのではなかろうか。

サラリーマンからすれば、大家族で大移動しながら暮らす遊牧民ほど危険で不安な人生はないように思えるかもしれない。

長年囲いの中で餌を与えられてきた動物は、いつでもジャンプして飛び出すことができるにも関わらず、囲いを出ないという。

我々ももはや、見えない囲いを出られなくなっているようだ。

 

 

 

医療保護でなく医療虐待

クーガ芋 ナイチャーが食べると食中毒を起こすことも

今週のお題「30万円あったら」

テーブルと椅子をグレードアップして買い替えたいかな、と思う。

が、ひねくれ者なので「30万円なかったら」と考えてしまう。

なくてもどうってことはないのである。今使っているものをペイントしたり、陶器の破片を貼り付けたりして、自由にオリジナルな一点ものを作ることだってできるのである。むしろ、その作品の方が30万円以上の価値があるのではないかと思う。

なんか、ほんとに作りたくなってきた・・・。

 

自由に考えること、自由で在ることは人間の基本的な権利。

その権利を簡単に奪える恐ろしい仕組みがある。精神病院へ人を送りこむ「医療措置入院」と「医療保護入院」である。

本人の意思に関係なく、「医療措置入院」は都道府県知事の権限で強制され、「医療保護入院」は家族の同意(悪意も含む)によって強制される。

驚くことに、一旦入院させられると、そこは鉄格子の中である。誰と面会するか、いつ面会するかをはじめとして、退院についても医師の一存によって決められる。家族や本人がいくら懇願しても、医師が拒めば一生入院生活となることもあるのだ。

 

入院費は一か月一人当たり100万円以上。そんな高額医療費をぼったくりながら、八王子市滝山病院など患者への暴行事件があとを絶たない。

精神病院は常駐医師の数も一般病棟にくらべて少なくてすみ、患者の支払い能力がなくても、病院を住所にして生活保護受給者にすれば、我々の税金を原資とする公的保険でカバーする。

刑務所でもないのに本人の意思が効力を持たず、長期滞在患者が増えるほど儲かる仕組みだから、日本では世界でダントツに何十年にも渡る精神病入院患者が多いのだ。

 

なぜ、こんな人権を無視する仕組みが放置されているのか。人を閉じ込めるのに裁判手続きも必要なく、便利でお手軽なので、おそらく政府としても残しておきたいのだろう。

現在、任意入院は6割、保護入院は4割、措置入院は1%以下といわれる。が、政府にとって邪魔な人々・・・昔はハンセン病患者を警官が羽交い絞めにして病院に連れ去ったことなどを思い出すが・・・反政府的な人々や浮浪者、知的障害者などを一掃するのに使い勝手がよいのだろうと思う。

NHKが滝山病院特集番組をやっていたそうだが、「精神病者をもっと地域で受け入れることが大切」とか相変わらず頓珍漢なことを言って、「医療措置」「医療保護」には絶対に触れず、視聴者からを真の問題を逸らす意図を感じる。

地域なんか、とっくに崩壊しているのだ。法改正の方が先だろう。

 

精神病院から出られない医療保護入院の深い闇 現場医師の裁量で強制長期入院も可能になる | 精神医療を問う | 東洋経済オンライン

 

夫の策略で「強制入院3カ月」妻が味わった悪夢 精神疾患の既往歴なしの人が精神科病院に幽閉 | 精神医療を問う | 東洋経済オンライン

 

 

 

慰霊の日に思う

今週のお題「朝ごはん」

 

朝ごはん?

6月23日は慰霊の日。

沖縄戦の犠牲者を悼む日として、当地では学校や官公庁は休日となっています。

本土では沖縄戦の詳細を知る機会もないと思いますが、RBC琉球放送では特集を組み、1984年度に製作された沖縄戦に関する番組を再放送していました。

過激な(?)表現部分は削除したというお断りテロップが入っていましたが、戦争という行事そのものが過激なんだから、ありのままに報道すれば過激になるに決まってますよね。何を美化したいんでしょうか?貴重な資料に善意を装って検閲入れるのやめてもらいたいです。

反戦特番というと、戦争サバイバーの語り部に語らせ、涙を誘うのが朝飯前の作り。

多少削除されたとしても、この当時の番組の方が、戦争怖い悲しいといった感情を煽るに終始するだけでなく、まともに戦争原因を追及しようという気概が感じられました。

 

友軍のふりをした日本軍によって、食料や財産を略奪され殺された住民が多数いました。島言葉をしゃべる人にスパイ容疑をかけ、殺された住民も多数いました。壕の中に隠れていると、後から日本軍がやってきて砲弾が降る中に追い出された住民も多数いました。

このような残虐な日本軍の中には、少年兵やひめゆり学徒隊など沖縄県民も混じっていたことを忘れてはならないし、法的根拠もなく県民を軍に送り込んだ県庁や学校関係者の罪も問われなければなりません。が、今だにやってません。日本特有のうやむや体質、南国特有のいい加減で忘れっぽい体質が、次の大惨事に繋がらなければいいのですけれど。

 

渡嘉敷(とかしき)島は戦地になりましたが、その近くの前島は、比嘉儀清(ひがぎせい)分校長の英断と努力で日本軍の駐屯地となることを拒否しました。結果、日本軍がいないので、米軍が島を攻撃するすることなく戦禍を免れたそうです。

砲弾は軍人も民間人も区別できません。軍を招き入れることは、戦地にしてくれというのと同じことなのです。

シンプルな教訓が共有され、活かされることなく、沖縄には今、先島諸島を中心として、続々と自衛隊駐屯地や弾薬庫建設が進んでいます。

 

 

便利だ「和」

今週のお題「最近買った便利なもの」

寝てるところを襲うらしい

ジャニー喜多川氏による少年への性的暴行が、最近になって広く知られるようになった。

なんと1960年代からぼちぼち民事裁判沙汰になっていたらしいが、日本のマスコミは今までジャニーズ事務所の圧力でスルーしていたので、イギリスBBCの番組による告発がきっかけである。

当番組はジャニーズ事務所に所属していた元少年たちなどへのインタビューを元に構成されているのだが、被害者が被害を訴える一方で、それでも喜多川氏を尊敬しているという矛盾した声が聞かれたり、一般の日本人も大した問題意識がなく、イギリス人の取材記者が理解不能として匙を投げていた。

性犯罪追及番組というより、罰すべき罪人とも何事もなかったように「和」をもって尊しとしてしまう日本人て気持ち悪いですね、といった印象を伝えている。

西洋人としては、現代の基本的な人間としての論理が通用しない不気味さを日本人に感じるのだろう。

確かに、日本には「和」はあるが、人権は無い。法治国家のふりをしているが、徹底した正しい法の運用も無い。原発や基地訴訟は必ず原告が負ける。何ともふわふわぐにゃぐにゃした、便利に消費される「和」しか無いのである。

海に汚染水をばらまく電力会社とも、原発を呼び込んだ政府とも、たちまち「和解」してしまうのだから。

きっちり問題を追及する人々の方が小数派になり、「いつまでも騒ぐな」「早く忘れろよ」「風評被害だ」などと言われ、逆に悪者どもに悪者呼ばわりされてしまう社会なのだ。

「和」を愛する穏やかな国民性が悪いとは思わない。が、思考停止し、何でもかんでも「和」で良しとして行き過ぎるとどうなるか。それが性犯罪や虐待を助長し、いい加減な政治家を蔓延らせ、悪徳企業すら正しく裁けない、無責任な国を創り出してしまうのである。

「和」は両刃の剣。悪とも親和性が高いのである。

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