神の島 琉球RYUKYU

豊かで不思議な沖縄の「今」をお伝えします the journal about rich and mysterious Okinawa today

ユニークな沖縄の植物たち

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トックリキワタの実


近所を散歩していると、庭先や街路樹、道端に見たこともない珍しい木や草花を見つけます。

街路樹が、なんか白い大きな毛玉のようなものをつけているなあと思ったら、実が破裂して中の綿がモコモコに露出していたのでした。これはトックリキワタという南米原産の木で、11~12月頃に大振りのピンクの花をつけます。その後、大きな実になり、割れて綿が飛び出すのですね。綿はクッションや枕に利用できるそうです。

 

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マリリス


また、真っ赤なユリのような大きな花を見かけたので調べてみたらアマリリスでした。実物のアマリリスって初めて見ました。この時期、沖縄の花々は原色が増え、カラフルです。

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パイナップルの木

パイナップルも一個一個、こんな風にできるんですね。開いた葉の上に乗っかるように。パイナップルの甲羅みたいなトゲトゲの一個一個が花になるそうです。パイナップルを買ってきたら、実の上にある葉の株を切り落として挿し木にして増やせます。実がなるまで3年くらいかかるそうですが。

 

こんなふうにユニークな個性的な奇天烈な草木に囲まれてると、ちょっとくらい羽目を外した人がいても、変てこな人がいても、十人十色、あまり気にならない風土になるのかなあと思いました。でも、最近の沖縄は企業も人もカルチャーも本土に買収されて、独自色が失われていくように感じます。

陶工が住んだ新垣家住宅

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新垣家住宅入り口


那覇市壺屋の国指定重要文化財「新垣家住宅」が一般公開されました。金、土、日曜日の午後1時~午後5時に観覧できるそうです。公開するのは登り窯「東(あがり)ヌ窯」や作業所などで、所有者が居住する母屋は除きます。

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東ヌ窯の建屋外観


新垣家住宅は県内に唯一残された陶工の伝統的な住宅です。東ヌ窯は琉球王国時代に造られ、1974年まで使用されました。迫力のある大きな窯です。大きなシーサーも焼けそう。壺屋にはこんな窯がいくつもあったのですね。煙が酷くて、住民の苦情が多かったらしく、次第に窯の数は減ったらしいです。

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東ヌ窯


2009年に東ヌ窯は老朽化と大雨により倒壊しましたが、国、県、市が母屋なども含めて修復。一般公開に向けて作業所を展示室に改装しました。倒壊前は所有者が東ヌ窯を公開していましたが、個人で管理するのは難しいため、今年2月に那覇市が国から管理団体に認定されたそうです。こんな住宅の管理まで国が管理者を「認定」?って思ったら、国指定重要文化財ということでした。

原義和監督「夜明け前のうた」

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原監督はフリーのテレビディレクターとしても活躍中


日本は諸外国に比べ、ダントツで精神病院の病床数が多いそうです。また、患者の安易な身体拘束や人権問題にもなりかねない強制的な長期入院が問題になっています。

 

私宅監置は病院に収容する代わりに自宅の一室や敷地内の小屋に精神障害者を閉じ込める制度で、1900年に制定されました。1950年に日本本土では禁止になったこの制度が、沖縄では1972年の本土復帰時まで残り続け、多くの障害者が犠牲となりました。今でもありこちに昔使用された監置小屋が残っているそうです。

原義和監督の映画「夜明け前のうた」はこの私宅監置の事実と歴史を残すために作られたドキュメンタリー作品です。

 

今頃なんでこんな昔の話を蒸し返して映画を作るのか、遺族の迷惑も考えろ、といった苦情の電話がトークイベント中にも監督のもとにかかってきます。彼はイベントを中座し、丁寧に応対していました。

私宅監置の犠牲者の殆どは亡くなっていますが、だからこそ死者の声に耳を傾け、その孤独と絶望を想像し、我々が行ってきた罪を直視するべきではないでしょうか。

隔離する側の検証でなく、隔離された側の検証として、この映画には貴重な意義があると思います。

 

隔離の犠牲者たちは人生も尊厳も奪われたままで、公的な調査や検証は行われていません。「家族の恥」「地域の恥」として闇に葬られた存在でした。こんなことが行われていたなんて、私も知りませんでした。

本当に恥ずべきは隠し続けること。この件に限らず、今の日本はなんといろいろなことが隠されていることでしょうか。農産物や魚介類の放射能汚染も、桜を見る会疑惑も、森友・加計汚職も、なかったことのようにすり替え、嘘で固めた復興シナリオを演じてます。事実の記録が無視されたり、書き換えられたり、行方不明となっています。

隠蔽した犯人たちも自分自身を欺いているわけですから、いったい何が芝居で何が現実なのかも意識が混濁しているのでしょう。手の施しようがない認知症ですね・・・。

 

 

城山三郎賞受賞「証言 沖縄スパイ戦史」

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少女時代は「きけ わだつみのこえ」を愛読していたという三上さん


三上智恵著「証言 沖縄スパイ戦史」が第七回城山三郎賞、第六十三回JCJ賞を受賞したそうです。
彼女はもともとアナウンサーで、「標的の村」などドキュメンタリー映画を撮り始め、「沖縄スパイ戦史」ももともとは映画だったのですが、映画で伝えきれなかった細部を再現するために本にしたそうです。

 

750ページものこの大作は、ゲリラ兵としてかり出された当時15,6歳の少年兵の証言など、戦った側からの視点で描かれた貴重な作品でしょう。

日本軍を歓待し、応援し、奉仕した沖縄の住民たちが、日本軍と密接な関わりを持ったがゆえにスパイに仕立てあげられ、殺されていく過程が見えてきます。

食糧支援や陣地構築を手伝うということは、軍の機密を知るということ。米軍が上陸してくると、日本軍は住民を互いに監視させるとともに、なんとスパイに「なりそう」な人たちを順番にリストアップして上から殺していったというのです。さんざん使われたうえに、消されていった住民たち。

三二軍の参謀だった神直道は琉球新報の取材に「沖縄戦では住民を守るという任務はなかった。住民は足手まといだった」と語っているそうです。

 

今、宮古島石垣島自衛隊のミサイル部隊や弾薬庫の配備に着手していますね。離島だから関係ないとは言っていられません。日本列島そのものがアメリカの防波堤なわけですから。そして、有事の際は自衛隊アメリカも住民を守ってくれるだなんて能天気に信じてはいけないことは歴史の教訓でしょう。

 

「もっとも深いところで、すでに受け容れられている」

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        雨の日は毛布が欲しい       タオル屋さんの猫       


先日リック・リンチツ著「あなたも私もいない」を読んでからウツっぽかったので、もしかしたらちょっと慰められるかもしれないと思い、ジェフ・フォスター著「もっとも深いところで、受け容れられている」を読んでみました。

 

ジェフはリックと友人だそうです。「意識しか存在しない」「私はいない」という点では話が合うそうですから、二人の世界観は同じなのですが、ジェフの方が若い分、「私はいない」とはいえ、もう少し夢も希望もあるように説いているようです。

 

真の自由は外側にあるものには依存しない。外側にあるものに依存することから解放されることだ。大丈夫ではない自分を見つめ、受容するときのみ、あなた自身の中に完全な自由と平和を見出せる可能性がある、といいます。

とにかく、「意識」しか存在しないわけですから、どういう自分であろうといいらしいです。つかの間、今ここにそんな役割の「私」が「意識」によって創られているわけですから。

我々は「全体意識」の細胞なのでしょう。細胞はそれぞれの持ち場で独立しているように見えて、実は全体として繋がっている。イメージとしてはそんな感じでしょうか。

だから、どんな自分であろうと関係ないと自暴自棄になるのではなく、自分の持ち場で責任を果たし、そこで細胞として誠実に生き、なおかつ全体を俯瞰して見れる余裕と自由をもってはどうか。とジェフは提案しています。

 

 

スパイスカレーの店「コフタ」

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シンプルな外観


読谷村(よみたんそん)の米軍基地トリイステーション近くにある「コフタ」は、港川外人住宅を改装したカレー店。

本日のカレーから1種、2種、3種が選べ、懐石料理のように丁寧に調理されたプレートが楽しめます。ダルスープも一口サイズですが、濃厚な味わいです。日本人が作るとこうなるのね~。さすが仕事が細かいです。

10gからスパイス類の販売もしています。

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2種のカレーランチ  1100円

窓からは遠く海が見下ろせ、風が気持ちよいロケーション。

この店でも米軍関係者が常連のようでした。カリフォルニアでは清掃労働者が年収1000万円でも暮らしがきついそうですから、日本の物価は爆安なのでしょう。米軍にとって沖縄は統治エリアで、治安もよく、事故っても逮捕されないし、天気もいいし、食事も美味しい、おもてなしも満点。どうりで基地外へうじゃうじゃアメリカ人が繰り出すわけですね。

 

 

占領されたトゥマイグシク

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奇岩が生き物に見えます


渡具知城(トゥマイグシク)は読谷村の泊城公園内にある観光スポットです。海に面し600年前に造られた城跡で、迫力のある奇岩が残っています。

ビーチへの道を降りていくと、3月ですが暖かい休日でしたので、泳いでいる人、魚を釣る人、潜って獲る人も結構いました。

以前はかなり人影も少なく静かな景勝地だったそうですが、今は主に米軍の保養地と化しているようです。BGMをじゃんじゃん鳴らし、砂浜に寝そべり、まるでアメリカ人のプライベートビーチのよう。完全に「占領」されてます。

 

那覇に住んでいると気づきにくいですが、基地周辺の街だとアメリカ人密度が高いのでびっくりします。夜道はかなり危険だろうなと思います。事件や事故に巻き込まれ、米軍関係者とトラブルになったら、まず裁判にもなりません。日本政府も基本的に日本人は見殺しですから、泣き寝入りです。彼らはほとんどマスクもせず出歩きますから、村民も観光客も注意が必要です。

 

ビーチや公園周囲は外国人所有らしいこじゃれた家(別荘?)が立ち並び、「Y」または「A」ナンバーの車が往来し、ここは米軍基地なのか日本なのか、考え込んでしまいます。

米軍関係者は基地も日本も自由に行き来できるが、日本人は米軍基地には入れない。

沖縄の中に米軍基地があるのではなく、米軍基地の中に沖縄があるようです。

それは本土も同様で、日本の中に米軍基地があるのではなく、米軍基地の中に日本があるというのが現状認識として正しいと思うのですが。

本土は沖縄ほど基地面積が大きくないので、のほほんと暮らしていると気づきにくいようですね。

 

米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー~

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  • 発売日: 2019/08/09
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「あなたも私もいない」

 

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俺はどっちでもいい        タオル屋の猫店長


輪廻転生の記事を書いたばかりですが、そういうおまえは存在しないのだという本を読みました。リック・リンチツ著「あなたも私もいない」です。

 

医師であるリンチツが影響を受けたサティヤム・ナディーンという元麻薬中毒の前科者が衝撃的な序文を寄せています。すべては意識であって、意識しか存在しない。意識しか存在しないのだから、悟りを得ようとしていた人も存在できなくなると。この序文が本文のすべてを語っています。

 

存在についてのあらゆる質問も消える。なぜなら質問者も存在しないのだから。

あらゆる問題を解決しなければという義務も消える。苦しみも消える。なぜなら、苦しみの大きさは周囲の物事をどれだけ「個人」としてコントロールしたいと思っているかに正比例するから。個人という概念を信奉しなくなったときに、この上ない安らぎと自由が訪れる。そして、物語とは私という大切な観念がなくても展開し続ける・・・

 

自分は存在していないと言われても俄かには信じがたいでしょう。存在しないわけではないが、完全に存在しているともいえない、といった方がよいかもしれません。自分が自分や人生をコントロールしているように錯覚しているだけなのです。

その証拠に、誰も明確な意思をもって生まれたわけではなく、いつのまにか自意識なるものが芽生え、朝になるとはっきりした意志もなく既にベッドから起き上がっており、一日の殆どを無意識にルーティン行事としてこなしていくのではないでしょうか。足を組み替えるのも、勝手に足がやり、組み替えた後で自意識が気づく、といった方が正確ではないでしょうか。

我々の意志は本当に我々が決めているのか。我々の意識は本当に我々のものなのか。我々が意識を所有しているのではなく、意識が我々を所有している。そんな不思議なドライブ感覚に陥る本です。

 

あなたも私もいない(覚醒ブックス)

あなたも私もいない(覚醒ブックス)

 

 

 

「前世療法」

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熱愛中


同じ猫なのに、なぜか前からの知り合いのようにすぐに仲良くなる子もいれば、これといった理由もないけれど、なんとなく相性の悪い子もいます。初めて行った場所なのに落ち着ける街もあれば、なんとなく居心地の悪い街もあります。

そんな不思議な感覚に答えを出すのが輪廻転生という考え方です。人は何度もいろいろな場所に生まれ変わり、共に生きた人々も一緒に生まれ変わって異なる関係を築き、影響を与え合っているというのです。

 

ブライアン・ワイス著「前世療法」では、ワイスが実際に催眠療法を試みた患者が前世を語り始め、過去の記憶を取り戻し、その意味を確認していく過程で、神経症的な症状を克服していく様子が記録されています。

患者は自分の過去を思い出すだけでなく、マスター(高次元の存在)からのメッセージをワイスに伝えます。人(魂)は死なないということを必要な人々に伝える使命を彼は受け取り、この本を著したのだそうです。

 

それまで科学者として生きてきたワイスにとって、輪廻転生について公に語ることや、このような本を出版することはかなり葛藤を要することでした。

実は新約聖書にも旧約聖書にも輪廻転生のことは書いてあったそうです。グノーシス派など初期のキリスト教信者は輪廻転生の概念を受け入れていました。

しかし、紀元前325年ローマのコンスタンティン大帝が新約聖書の輪廻転生に関する記述を削除。紀元553年の宗教会議においても、人類の救済は輪廻転生を繰り返すことによるという考え方は異端であり、教会の力を弱めるものだと危険視されたのです。教会利権が聖書を捻じ曲げたのですね。

 

輪廻転生を無いとするより在るとする方がいろいろ不可解な現象について辻褄が合うのではないでしょうか。証明できないことは信じないとバッサリ切り捨てるより、証明できなくても信じられる、という自分の感覚を信じてもよいのではと思います。

 

 

「感染症社会―アフターコロナの生政治」

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今年の海開きは大丈夫かな        那覇 波の上ビーチ


沖縄の新コロ陽性者数は十数名。全国ワースト3位だそうです。特に那覇は人口密集地ですからね。

緊急事態宣言は飲食店や小売業従事者を苦しめるだけで、生活苦による自殺、無理心中による死者数も毎日報道するべきだと思うのですが。大事なことは報道しないのがこの国の王道なんですね。

 

美馬達哉著「感染症社会―アフターコロナの生政治」を読みました。

リスク制御だけを社会の目的とするなら、多元的な価値と民主的討論に基づいた政治は必要なくなり、生物医学的な専門知によって、人間の群れの行動が制御されるだろう。選挙で選ばれたわけではない専門家会議に意志決定を委ね、非常事態を宣言し、移動の自由を制限する隔離・検疫を行い、プライバシー権を制限して接触者追跡を行い、人間の群れをコントロールする。だが、それでは「犬猫同様の始末」だ、と美馬氏はいいます。

 

アフターコロナにおいて非常事態宣言が常態になっていくとき、感染症患者は社会悪とみなされ、恐怖と憎悪の対象となる。リスクの高い行動をする人は劣悪な異分子とみなされ、非難される。ウイルスを持ち込む外国人や清潔度の異なる人びとは人種主義的なヘイトにさらされる。第三波、第四波と繰り返されればリスクマネジメントである生活様式を守らなかった住民が経済活動に支障を来した廉で政府から非難される。

 

しかし、リスクとは何だろうか?新コロはそんなにリスクなのだろうか?新コロに感染しなくても人はいろいろな原因や理由で死ぬ。それより、自分が今日を自由に生きられないことこそ最大の人生のリスクであると思わないのだろうか?そう思わない人が増えているとしたら、本当に危機的な状況ではあります。

 

感染症社会: アフターコロナの生政治

感染症社会: アフターコロナの生政治

  • 作者:美馬 達哉
  • 発売日: 2020/07/07
  • メディア: 単行本
 

 

マインドフルネスはいかがなものか

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仏教国スリランカでも人々は拠り所を失っているらしい


最近流行りのマインドフルネス。

沖縄県立博物館でマインドフルネスで健康講座があったので行ってみました。

講師はスリランカ出身、沖縄大学名誉教授のディリープ・チャンドララールさんと広島大学大学院博士課程の僧侶ウダヤギリエ・ダンマシリさん、認定心理士の竹下和華子さん。

 

人間は放っておくといつも頭の中で何か考え、独り言が止まらない。そういったことに注意を向けるのがマインドフルネスだそうです。注意を向けないのがマインドレス。マインドレスだと感情、思考を自分で意識的に選択できず、流されていってしまうといいます。無意識を意識に変えることが大事なのですね。

 

なかなかひとつのことに意識を向けるのは難しいですが、呼吸(今ここ)に集中することで雑念を逃れ、宇宙と繋がることができるそうです。自分がコントロールできるものだけコントロールするのがポイント。

 

確かに5分間でも瞑想すると気分が落ち着くし、仕事への集中力もつきそうですが、「今ここ」に絶対的な価値を与え、そこに安住して終了っていうのもどうかな?と思いました。

多くの企業でマインドフルネス瞑想が従業員に教育(?)されているそうですが、「今ここしか考えなくてよい」「文句を言わずおまえの今の仕事に感謝せよ」というメッセージとして利用されかねないなあと。現代のサラリーマン奴隷の洗脳教育としてはかなりスマートなやり方ではないでしょうか。

 

 

 

ネパール料理店「シティマート」

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(※2024年現在、このお店は閉店しています)


東京・大久保ネパール街に匹敵する美味しいネパール料理店が無いなあと諦めていたところ、見つけました。那覇泊港近くの「シティマート」です。ダルスープ用につぶした緑豆やひよこ豆、フェヌグリークなどスパイス類の購入もできます。

 

ネパール人と思われるおじさまが本場のスパイスをふんだんに使って調理しているようです。日本人向けにカレーの辛さの調節が可能。

まずは基本のダルバートを注文。マトンカレーとダルスープ、アチャールにご飯たっぷり。辛口にしていただき、パンチのある美味しさを楽しみました。

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カレーが選べるダルバート  650円

カレーだけでなくモモなどサイドメニューも充実。パーティ料理にも対応可能だそうです。

コロナ禍の祝日の昼でしたが、常連らしきお客さんが途切れず、人気のお店のようです。

イエロームング(緑豆)を買って家でダルスープを再現してみたところ、意外と美味しくできました。食べ歩きすると料理のモチベーションも上がりますね。

  

 

「すばらしい新世界」

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国際通りのすぐ裏にこんな世界が    (亀甲墓)

オルダス・ハクスリーは今まで読んだことがなかったのですが、「すばらしい新世界」を勧められて読みました。

まったく予備知識なく冒険物語かしらと思って手に取ったら、条件反射的教育で管理される階級社会という、機械文明が行き着いた恐るべき世界の話でした。そういう世界をリアルに描いて構築してみせたという意味で、冒険物語とも言えるでしょう。

 

人間がその尊厳を奪われ、支配者に実存をコントロールされる話はジョージ・オーウエル著「1984」や映画「マトリックス」などがありますが、それよりずっと昔、1932年(昭和7年)に「すばらしい新世界」が発表されていたのですね。オーウエルやマトリックスのタネ本なのではないでしょうか。

読んでいると映像が浮かんできて、まるで映画を観るように読める作品です。

 

文明論的SF小説とか風刺小説とか言われていますが、テーマが凄すぎて単なる小説として済まされる内容ではありません。人間の無知、理想、生きる目的、意味、歴史とは、未来とは・・・哲学的なテーマを突き付けられます。

 

「人は歴史の教訓からあまり多くのことを学べない。この事実こそ、歴史の教える教訓のうちで一番大切なものなのである」という彼の名言があるそうです。

ハクスリーの描く近未来の社会がすでに現代に実現され、もはや新たな歴史となりつつあるのは、我々がほとんど過去から何も学べていない証拠ですね。

 

 「たいていの無知は克服できる無知である。我々が知らないのは、知ろうとしないからである」

「あなたが確実に改善していける宇宙の領域が一カ所だけある。それは他ならぬあなた自身だ」

この作品の結末は悲劇的ですが、第二次世界大戦後、彼は結末をもっと希望のもてるものへと修正意見を提示したそうです。東西の神秘思想を学び、彼自身が変化・改善されたのかもしれません。

 

すばらしい新世界 (講談社文庫)

すばらしい新世界 (講談社文庫)

 

 

「能はこんなに面白い!」

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琉球舞踊も観る機会が減りました


内田樹の借りたかった本が貸し出し中でしたので、彼と観世清和との対談集「能はこんなに面白い!」を読んでみました。能は以前観たことがありますが、何がいいんだかイマイチわからなかったので。

 

世阿弥が立ち上げ、約700年の伝統を持つ能。それは観るものでなくやる(演じる)ものであると自ら能楽の研鑽を積む内田氏は言います。

彼は武道家でもあるので、型、間合い、気合など能の謡にも通じるところがあるのでしょう。謡や仕舞の稽古をすると、能の周波数に合わせることができるようです。

 

内田氏によると、能の根本は「供養」だそうです。能が描くのはその社会で最も弱い人間たち。敗者、非業の最期を遂げた者、世界の周辺に押しやられた人たちを取り上げ、主人公にして、その恨みのたけを語らせ、それによって敗者を癒すというのです。

観世氏も、敗者を甦らせ、引き上げる世阿弥の優しさをいつも感じながら稽古するそうです。

名曲「松風」にしても「隅田川」「井筒」にしても、視点は死者や病者ですね。

もともと神に捧げるものとしてあった猿楽を洗練し、発展させた能。人間の弱さ、情念を最も美しい形で神に献納する芸術と言えそうです。

 

能ではリハーサルというものはしないそうです。わずか一回「申し合わせ」と呼ばれる通し稽古をする程度。オーケストラやバレエのように指揮者がいてその合図に合わせるという発想がないのです。

お互いの表現に意識は向けますが、合わせようという配慮はない。それぞれが表現をぶつけ合うことにより、そこから一つの新たな世界が創造されると考える。

微妙なズレが味となり、表現の奥行となる、と観世氏。確かに、幽玄の世界ってズレが必要かもしれません!

改めて能をもう一度観たくなるような本でした。

 

能はこんなに面白い!

能はこんなに面白い!

 

 

遺骨収集ハンガーストライキ

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県庁前広場を通りかかったら、具志堅隆松さんが戦没者の遺骨をめぐってハンガーストライキをしていました。

 

辺野古新米軍基地建設は県民投票で「NO!」が突きつけられたにもかかわらず、埋め立てが始まっています。なんと、そのための土砂は糸満から八重瀬にかけて、第二次大戦時の遺骨が多く眠っている地域から運ばれているそうです。

 

沖縄南部にはひめゆりの塔、鎮魂の塔、摩文仁平和公園など戦跡国定公園があり、激戦地であったことを物語っています。そこにはまだ多くの遺骨が残っているのに、掘り返して米軍基地建設に使用するとは、死者を二重に冒涜するものですね。

 

島ぐるみ沖縄宗教者の会・ガフマヤー支援者の会は防衛局に土砂採取計画断念や、遺骨が残る可能性の高い地域での土砂・石材採取禁止条例の制定などを求めています。

 

署名したら、知事公室の基地対策課が作成している米軍基地Q&Aパンフレットをいただきました。読んでみたらその内容の濃さ、わかりやすさ、適確さにびっくり。米軍基地の歴史的背景から現状、日米地位協定、基地と沖縄経済の関係、辺野古新基地建設にまつわる諸問題について、総力でまとめ上げています。単なるパンフレットではなく、ガイドブックとなっています。小・中学校・高校の副読本にするべきではないかと思いました。

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具志堅さんは3月1日から6日までハンストを行っているそうです。無事に終えられますように。

 

辺野古に基地はつくれない (岩波ブックレット)

辺野古に基地はつくれない (岩波ブックレット)