今週のお題「パイナップル」
沖縄は南国だから果物が豊富というイメージがあるが、スーパーでは果物が大して豊富でも安くもない。チェーン店で流通するだけの量が採れないのだろうか。市場や道の駅で少量多品種を見かけるくらいである。
マンゴーは高価でほとんど贈答用として本土に送られるため、地元庶民は食べる機会がない。今年は台風で落ちて傷ついたマンゴーが贈答用に出荷できなくなり、市場で値引きして売られていたので、多少賞味はできたようである。
コンビニスイーツは食べても、すいかを食べたことがないという子どももいる。
パイナップルは石垣島産のものが有名で、時々市場で見かけるが、食料品が全般に高騰しており、パイナップルも例外ではない。
それでも、甘ったるいケーキより、天然の恵みである果物はおいしい。昔は果物よりケーキを好んでいただいたものだが、本物の良さに目覚めたということか。
昔見た映画の評価も、最近になってガラッと変わったことがあった。
数々の賞を総なめした「ニューシネマパラダイス」である。初めて見たときはノスタルジックないい映画だなあという印象であった。あれから幾年月・・・細かいところは覚えていなかったので、桜坂劇場で見直してみたら・・・なんと、これはDS(ディープステート)が作った映画ではないか!?
映画に人々が熱狂する様を描き、スクリーンが素晴らしいものだという印象操作がおこなわれている。庶民を愚民化するための3S政策(Sports,Sex,Screen)に見事に乗っかっているのである。先住民を皆殺しにする映画でも、スクリーンに映れば何でも良きものとされている。
みんな平和に暮らしているのに「村なんか出ていけ、戻ってくるな」と主人公のトトに言う映写技師アルフレードのセリフも意味不明。理由もなく、故郷を捨てろ、育った家もコミュニティも捨てろと言っているのだ。共同体破壊政策である。
トトが好きになるエレナのことをアルフレードが「青い目は信用するな」と言っているが、青い目=DSのことを暗示してほくそ笑んでいるようである。大衆にヒントを残したつもりなのか。
出世したらしいトトが30年ぶりに帰郷するのだが、その目はなんか青っぽくなっていて別人だ。昔はハッキリ黒かったのに。そして、昔神父が切り取らせた映画フィルムの肉欲シーンを次々に映し出し、涙を流して嬉しそうに見ているのだ。これは完全にDSに支配された人間を表現しているのではあるまいか。
映画上映を教会が主催していたというのもDSらしい伝統を物語る。民衆に見せたいものを教会が、君臨する神としてのDSが選ぶのだ。
そういえば民衆の前を羊の群れが横切るシーンがあった。羊の別群としての民衆の暗示に見えた。
全編情緒的な音楽でもたせ、昔の映画の名シーンの切り貼りでつなげ、計算されたヒット作の作りである。かなりDSのスタッフが関与しているのではないかと思われる。なぜなら、その後トルナトーレ監督自身のヒット作はひとつもないからだ。
汚穢と残酷が好きでたまらないDS好みの、牛を殺すシーンとか、血だらけのキリスト像のシーンとか、これって何に必要?という不可解なシーンをサブリミナルのように入れているのも気持ち悪い。
スクリーンの見過ぎで刺激がないと生きられなくなった、小金はあるけど故郷も自分もなくし、肉欲だけに刹那的に生きる小市民に成り下がった小男の映画、と理解を新たにした。